tsuyojijiの「ガン日和」

胃がん発見からおよそ1年になります。これまでの経過や日々の様子を書き連ねます。

「油断」が「伏兵」を招く・・・それにしてもありがたい主治医の存在

 皆さん、3連休はどう過ごされましたか?

 前にも書いたような気がしますが、体調良くて少し安心していると、すぐに「発熱」「むくみ」「腸炎」などの「伏兵」が出現します。今回は、「発熱」。そのために、この3連休は、朝のウォーキングもゴルフ練習もすべて断念。できたのは、ジャム作りだけでした。

 この三日間、熱との格闘でした。しばらく前から夕方の発熱はあったのですが、せいぜい37.4度程度で、カロナールを1錠飲めばそれで引いていました。しかし、土曜日は。38.1度、日曜日は38.5度、そして今日も。いつも日中は体調がよくて元気にしているのですが、夕方になると、膝・腰・背中がゾワゾワしてきます。これが私の発熱サイン。

 今日は昼頃に甘楽町のイチジク農家さんから連絡をもらったので、熱もないし、お腹も調子よかったので、家内とイチジクを仕入れに。その帰り道、高崎市のキャンプ場に勤める友人を訪ねて、少しおしゃべり。その帰りがけ、少し遅めの昼食を高崎のガストで取って、そろそろ帰ろうかというときになり、あのゾワゾワが!途中、運転しながらもゾワゾワが体全体に広がる一方。『7度5分は越えたかな』と思いつつ、帰宅して検温すると、38.1度。すでに八度越え!

 私は元来、熱に強く、若いころは普通にしていて、ちょっと寒気がするなと思って熱を測ると、38.5度なんてことはよくありました。それでも、ここのところ8度超えが続いたこともあり、さすがに今日は少しつらく、すぐに薬を飲んでベッドへ。

 いつもなら、ひと眠りするうちに汗をかいて結構下がる熱が、今日はなかなか下がってくれず、17:00過ぎに2度目のカロナールを服用。その後、結構大量の汗をかいたので、今度こそと思って体温計を充てると、ようやく37.8度。今日の熱はしぶとく、なかなか下がりきってくれません。

 それでも、食欲はありますし、結構元気なので、夕飯ができある合間にこのブログを書いています。

 こんなとき、とても心強いのが今の主治医の設楽先生です。熱の様子をメールで知らせると、すぐに返事をくださいます。今日は5、6回のやり取りの中で、詳しい様子を聞いてくださり、薬の飲み方等についてアドバイスをしてくださいました。病院は遠いのですが、休日であっても、このように患者に寄り添ってくれる主治医の存在は、本当にありがたいと思うし、心強い存在です。

『ガン日和』も『ジャム日和』


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 秋が進んでいます。群馬では台風25号の影響は、フェーン現象による日差し程度で済んだようですね。この写真、近くの吉田栗園から仕入れた「低温熟成」の「ポロタン」。とても甘みが強く、まさに加工向きです。家内は、この「3L」サイズで「渋皮煮」を作り、私は、「M・L」サイズでジャムを作りました。3度目の栗ジャム作りで、ようやくコツをつかんで、結構いい感じの「栗ジャム」ができました。

 と、ここは『tsuyojijiの「がん日和」で、「ジャム日和」ではありませんでしたね。

 実は、今朝栗ジャムを仕上げ段階の火入れをして、ひたすら木べらで鍋をかき混ぜながら、ふと『「がん日和」から「ジャム日和」にかえてもいいかも』などと考えていました

 目下の私の1日の生活を考えたとき、結構ジャム作りが大きなウェートを占めています。本当は、今働いている「ワークスタジオ前橋」のカリキュラム作りを手がけていて、その具体案を早く作らなければなりません。また、「みらい」という私が行っている塾の新しい方向性についていい考えが出てきたこともあり、そのチラシを作ったり、そのための教材作りをしたりしなければなりません。そんなこともあり、しばらく前に、「ジャム作り休業宣言」をしたのですが、なかなか、その通りになりません。ふと気づくと、キッチンに立って果物の皮をむいていたり、鍋の中をかき回していたり。

 『もうジャム材料を仕入れるのはやめよう』と思っているのに、『鷹の羽ブドウ園のベリーエーがいよいよ本番だな』『由田果樹園のイチジクはそろそろ終盤だから、今のうちに』『あかねリンゴがそろそろ出て来る頃だぞ』『栗ジャムいい感じだから、もう一度吉田栗園に行ってこうようか』『孫たち好きだから、パイナップルを仕入れようか』等々、もたれや痛みで休んでいる食後の時間、居間の座椅子にもたれながら、頭に浮かぶのは、そんなことばかりです。

 この3連休、パソコンに向かっていろいろやるべきことをやろうかと思っていましたが、昨日(土曜日)の朝から37.7度の発熱。しかたなしにカロナールを飲んで熱を下げつつ休養。夜も再び熱が上がったので、早めにベッドへ。そのため、今朝は4:00頃目覚め、そのまま起きだして、ふと気づいたらキッチンに立って、栗ジャムづくりに専念。その最中に『「がん日和」から「ジャム日和」にかえてもいいかも』が思い浮かんだのです

 実際に、今後オプジーボなどの薬が功を奏して癌の心配がなくなったとき、当然この『ガン日和』は終了したいと思っています。一日も早くそうしたいという思いがあります。

本庶佑京大特別教授、ノーベル賞のニュース

 「京都大の本庶佑特別教授ノーベル医学生理学賞の受賞」というびっくりなニュース!

 きっと、私だけではなく、現在どのくらいの人数の人がいるのか知りませんが、「オプジーボ」を使用しいてる患者本人とそのご家族、関係者はうれしい気分になったのではないかと思います。

 今日は、夕方塾でした。授業を終えて19:00過ぎに帰宅して、スマホを何気なく見たら、暗い画面にある人からのLINEのメッセージが出ていて、「オプジーボ・・・ノーベル賞」という文字が見えました。「えっ?」と思って、スマホを開いて見たら、LINEにもFacebookにも、普段より多いメッセージが入っていました。多くの人が、この本庶先生のノーベル賞受賞に関するメッセージをよせてくれていました。あわてて、ヤフーニュースを見て、あらためてびっくりしました。

 といっても、私はこの本庶 佑先生という方を全く知りませんでした。まさか、「オプジーボ」の開発のきっかけとなった「PD-1」を発見した方だったとは。

 癌と免疫の関係は、ある本で読んで大体の仕組みは知っていました。その仕組みをうまくついた全く新しい薬が「オプジーボ(免疫チェックポイント阻害剤)」というもので、最初は皮膚がんで使われ、その後肺がんとかに広がり、そして、昨年10月から胃がんでも使われるようになったことは、現在の主治医の設楽先生から聞いていました。そして、このブログやLINEのグループ通信の中で、「オプジーボ」の話題を出してきました。だからこそ、多くの方からのメッセージにつながったのですね。

 「オプジーボ」は、まだ完全な薬ではありません。胃がんで言えば、「とてもよく効く人」の割合は10%程度。「まあまあ効く人」が40~50%程度ということです。その中で、私の胃がんがこの「オプジーボ」の効果が高くなる「マイクロサテライト不安定性」(それでも、よく効くのは5・6割とのこと)という性質を持っていることに、早い段階で気づいてくれた設楽先生が、それまでの抗がん剤をやめて急きょこちらに変えてくれたわけです。このあたりのことは、これまでここに書いてきましたね。そして、先日の途中評価は「シングルヒット程度かな」ということで、CTや胃カメラの検査結果では、まだ目立った効果は出ていません。ただ、実際の生活では、「オプジーボ」を使い始めてから、いたって調子がよくなっているのは事実です。ただ、免疫が強く働きすぎて、腸を攻撃してしまっているようで、腸が炎症を起こし、食後の腹痛には結構悩まされていますが。

 ニュースで、本庶先生が「PD-1」を発見されたのは20年も前だということを知りました。その後、先生ご自身も地道な研究を重ねてこられたでしょうし、その成果を取り入れた世界中の医学者が癌の治療薬として開発するまでに、また膨大な時間をかけて研究を重ね「オプジーボ」の開発に結びついているんだと思います。すごいことだと思います。

筋力回復を頑張らないと!

 またもや大きな台風が接近しています。被害が出ないことを祈るばかりですね。

 ここのところ、朝、雨模様の日が多く、ウォーキングを休みがち。その分、室内でいくらかの筋力トレーニングをしてはいるのですが、やはり歩くのをさぼるとてき面に弱体化を感じます。昨日、孫の運動会が雨のため延期となったので、急きょ共愛学園のバザーに行ってみました。駐車場から会場まで、おそらく歩いて5分ほどの平坦な道のり。そこを歩くのに、妙に足が上がりにくい!帰りはそれほど感じませんでしたが、車を降りて会場まで歩く際のおぼつかなさ、心もとなさに、自分の足ながらあきれてしまった次第です。やはり、今はもっと歩かなければいけないし、筋力トレーニングもしっかりやらなければいけないんですね。

 ちなみに、急きょ共愛学園のバザーに行くことになったのは、教え子の二人が共愛学園のPTA役員さんだったり、「賛助会員」という学園の協力者であったりすることから、焼き鳥やおでんの準備で今日に備えていたことを、しばらく前からLINEグループの「オカノ通信」で話が出ていました。そこで、「久しぶりに高校の文化祭にいくのもいいかな」と思って出かけたのですが、結局、「焼き鳥・おでん・フライドポテト・から揚げ・焼きそば」を買っただけでした。

 午後、ゴルフ練習へ。一昨日は60球を打ってばてていましたが、昨日は、90球打てました。一昨日の練習では、それまでの自分のクラブで練習をしました。それほど特別に重いクラブを使っているわけではなく、年相応のクラブを使っていたわけですが、それでボールを打とうとすると、ボールをしっかりとらえることができません。空振りをするわけではありませんが、きちんとクラブのフェース面でとらえられなかったり、とらえたとしてもボールがあまり上がらなかったり。もちろん距離もこれまでの半分!当然、距離が落ちることは覚悟していましたが、それにしても『クラブが重い!』

 そこで、いつもゴルフの相談をしている浅野ゴルフサービスさんに早速行って、浅野社長に相談しました。すると、「それはそうでしょう。今の岡野さんの筋肉量からしたら、そのクラブのシャフトは重すぎます」の一言。私がこれまで使っているアイアン用のシャフトは75グラムです。そこで、もっと柔らかく軽い(60グラム)シャフトのクラブを借りて打ってみました。すると、とても打ちやすい!!ドライバーも同様。これまでの自分のものは長くて、重いので、軽くて短いもの(といっても15グラムほど軽く、2センチほど短いだけの差なんですが)を借りてきました。

 先日、「小さな野望」としての尾瀬行きを断念したことを書きましたが、その後、それならばと思い付いた次なる「ミニ野望」が「12月にはオカノカップを復活させる!」ということだったのです。この「オカノカップ」は、6年ほど前から始めた私の教え子だけが集まるゴルフコンペです。昨年の秋、病気が分かってから12月に最後のコンペを行って、「休止」を宣言していて、もうゴルフは無理だろうと思ってきたのですが、どうにかごフルを復活させられそうなのです。

とりあえず、シングルヒットかな?

今日は「オプジーボ」6回目の点滴。17:00過ぎに終了して、帰りの東武鉄道りょうもう号に揺られています。

実は、今日のブログタイトル。ホントは「逆転満塁ホームラン」としたかったのが本音。

前回の点滴前の診察の時、主治医から「次回はCTと胃カメラをやって、評価しましょう」と言われていました。今回は、前回ほどに過度の期待はしていませんでしたが、それでも、ここのところ、すごく体調はいいですし、元気なので、「結構小さくなってるかな?」と、やはりいくぶんかの望みはありました。

そして、実際にかなりの効果が出て、「小さくなってますよ‼️」と言われたら、このタイトルは、「逆転満塁ホームラン」にしようと思っていたんです。でも、実際には、それほどの変化は…

まず、胃カメラ撮影の先生から「もともと大きいので分かりにくいですが、あまり変わってないですね❗」と軽く告げられ、「やっぱり」となんとなく納得。

そして、主治医の診察では、CT画像も合わせて、「目に見えて、小さくなっている様子は見られませんが、前回(8月上旬)に比べて、少し崩れて、いくらか小さくなっているようですね。明らかに進行はしてませんし、いいと思いますよ😃とにかくオプジーボ、続けましょう‼️」

とのことでした。

血液検査の結果、これまで気になっていた、白血球、腫瘍マーカー、肝機能、ヘモグロビン、アルブミン等、ほとんどが数値的にも良くなっていました。そして、それ以上に、今、体調良好で、とても元気に過ごせているので、とりあえずは「シングルヒット」で、一歩、前進かな、と思っています。

いつか「逆転満塁ホームラン」のタイトルをつけたブログ更新ができることを祈りつつ、日々の生活を積み重ねたいと思っています。検査結果は、あくまでも「結果」ですからね。それよりも、目の前の「今」を精一杯生きること‼️

それが、樹木希林さんや、その他多くの方から学んだことでもありますからね🎵

樹木希林さんの訃報に思うこと

 先日、樹木希林さんがなくなりました。昨日は、山本“KID”さんという格闘家の訃報がネットニュースに大きく取り上げられていました。ふと、気になり「今年、癌で亡くなった人」と検索をしてみました。プロ野球星野仙一さんから始まり、沖縄県の翁長知事、漫画家のさくらもももこさんをはじめ、たくさんの方が癌で亡くなっていました。

 私は、あまり芸能界(と言っても、俳優さん、タレントさん、スポーツ関係、音楽関係、その他もろもろ、色々なジャンルがあるのでしょうね)に詳しくありません。テレビや映画を見たり音楽を聴いたりという習慣がもともとあまりないこともあり、芸能人については、ほとんど知識がないので、そのネットに一覧になっている「今年癌で亡くなった芸能人」の方々は、ほとんどよく知らない方々ばかりですが、それにしてもたくさんの方が年齢にあまり関係なく、癌で亡くなっています。

 この中で、樹木希林さんはとても気になっていました。女優さんとしての希林さんの仕事のすべてを、当然知っているわけではありませんが、それでも、たくさんのドラマや映画でその個性的な演技力には惹かれるものが多くありました。ただ、私の中で希林さんのことが気にかかっていたのには別の理由がありました。

    皆さんご存じのように、樹木希林さんは、数年前から全身をガンに侵され、ガンと闘いながら女優としての仕事をギリギリまで続けられていました。その希林さんは、長年、自然の草花を発酵させて作った「天然酵素」を飲み続けていたのだそうです(しばらく前に、希林さんがテレビのインタビューの中で紹介していました)。その酵素の作り方を、私と家内の共通の友人であるKさんから教えていただき、家内が昨年から作り始めました。そして今、毎朝作るスムージーの中にその酵素を入れて出してくれています。この酵素を通じて希林さんと繋がっている、と言ったら盛りすぎですが、長い間ガンと闘いながらも、へこたれることなく仕事に取り組む希林さんの姿に強く感銘を受けてもいましたし、自分の気持ちが萎えそうなときに、その弱気を打ち砕いてくれたのは希林さんの生き様でした。

    それでも、このたびの希林さんの訃報はそれほどショックではありませんでした。それは、希林さん自身、すべて納得尽くで、この死をしっかりと受け止めていて、ご自身の人生に十分満足をして旅立ったのではないかと思うからなのです。

    しばらく前に、教え子のFさんが登山家の田部井淳子さんの新聞記事を写メで送ってくれました。その田部井さんもガンと闘いながら山に登り続けたと言います。そして、今、幡野広志さんという34歳で余命3年の宣告を受けた写真家の方が、糸井重里さんと対談する記事を「ほぼ日刊イトイ新聞」という糸井さんのサイトの中で読みました。この幡野さんも余命宣告を受けた状況の中で、より力強く自分の人生を生きようとしているんですね(この幡野さんの本「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」という本を、今ワークスタジオのテキストに使わせてもらっています)。

    広島カープの赤松選手も胃がんの手術を受け、その後抗がん剤治療を受けながらも、一軍復帰を目指して日々トレーニングに取り組んでいます。おそらく、多くのがん患者の方々がこのように、ガンという病魔を認めながらも、それとは切り離したところで自身の人生を全うしようとしているのだと思います。最近、自分でもそういった感覚が、あるいは覚悟みたいなものが育ってきているのを感じます。

    樹木希林さんが、実際にはどうであったのか、もちろん知り得ません。しかし、おそらく、ガンがどうだとか、死ぬことがどうだとか、そのようなことは超越して、これまで自分はどう生きてきたか、そして今自分はどう生きているか、例え明日命が尽きるとしても、今の今、この瞬間、自分はどう生きているか、そういった意識、感覚がすべて優先していたのではないか、そんな気がしています。

    私もそのように生きたい❗と思います。しかし、私自身が、どこまでそれほど力強くこれからの人生を造ることができるのか。ガンが進行したときに、元来弱虫な私のこと。すぐにへこたれてしまうのではないか、そんな不安が常につきまとうのも事実です。そんなとき、希林さんの「生き様」が私を奮い立たせてくれるような気がしています。

「尾瀬に孫たちを連れて行く」野望は、断念

 今日は、家族で長野方面にドライブに行ってきましたが、上信越道がから見下ろす佐久平は、稲が稔りの時期を迎え、稲穂が金色とまではいかないまでも、薄黄色に色づいて、住宅地の周辺に絨毯のように田んぼが広がっていました。

 さて、先日から目指してきた「尾瀬に孫たちを連れて行く」という「小さな野望」ですが、とても残念なのですが、断念することにしました。とりあえず、今回は見合わせる、ということですが。

 この1か月ほど、朝のウォーキングで、かなりの時間を歩けるようになっていました。それなので少し自信がついたために、『何とか尾瀬に行けるのではないか、尾瀬に孫たちを連れて行く、という目標を持つことで、トレーニングを頑張れるのではないか』とい思いもあって、「小さな野望」というタイトルのブログ掲載をしたわけです。

 このところ5キロのお米を入れたリュックサックをしょって、横断報道の上り下りも重ねてきました。しかし、なかなか、思うように太ももやお尻の筋肉が戻ってくる気配がなく、あと3週間の間に山ノ鼻から鳩待峠まで登りきるだけの筋力・体力が戻るのはかなり困難に感じられるようになっていました。春頃、まだ所属していたグンゼスポーツのインストラクターから、「これだけ落ちた筋肉を戻すには1年近くかかりますよ」と言われ、まさかそんなにかかるわけが、と思っていましたが、確かにかなり時間がかかるようです。

 そして、ここのところのがんばりすぎのためか、ひざに少し痛みが出始めました。さらに、この数日、腹部から下半身全体のむくみが増しつつあります。なんとこの三日で体重が3.5キロも増え、膝や足首が曲げづらくなってきてしまいました。また、先日の血液検査の結果では「肝機能」の一つの数値が標準値を大きく超えて、そのための薬も飲み始めました。

 以上のことを勘案して、今の段階で尾瀬に行くことは、無謀だという結論に達しました。家内は「来年の夏までに体力を戻して、再チャレンジすればいいんじゃないの」と言ってくれます。確かに、そうなんです。じっくり体力を戻して来年の初夏、ニッコウキスゲの時期にリベンジすればいいと考えてもいます。

 それでも、やはり行きつくところは、「現在の治療が効果を発揮してくれれば」、ということになります。先日の国立がんセンターの報告や様々なこれまでのデータからも、ステージ4の胃がんからの完全な生還はかなり困難であることが分かっています。そのデータに負けて尻込みをするような弱気な生き方を選択することはしませんが、これからの半年間、元気に冬を越せない可能性についても覚悟するだけの客観性は持ち合させています。今後、これから自分の体に何か変化が起こるとしたら、それはそれで受け入れるしかないわけで、それまでの間、塾での授業はもちろんのこと、新たに始めたワークスタジオ前橋で入所者の皆さんと一緒に学ぶ生活を精一杯ぎりぎりまで続けることを大切にして、毎日を重ねたいと思っています。