tsuyojijiの「ガン日和」

胃がん発見からおよそ1年になります。これまでの経過や日々の様子を書き連ねます。

暗闇の中に少しの光明。そこで、久しぶりのブログ。

 ずいぶん久しぶりのブログとなりました。あっという間に、もうすぐ12月ですね。

 この間、幾人かの人から、「ブログ更新されないけど、大丈夫ですか?」という問い合わせが。私もずっと気にはなっていました。しかし、なかな書ける状況ではありませんでした。それは、「気力」の問題もありましたし、書き始めると、ますます皆さんを心配させてしまう内容になってしまいそうで、それが自分でも怖かった、というのが本音かもしれません。

 前回、放射線治療を通いで行うことになったことまで書きました。結局、その放射線治療は、11月12日に終了したのですが、その後、放射線の副作用や癌による胃の圧迫ということもあり、とにかく食べ物をほとんど摂れない日が続きました。少し食べるだけで、腹部が異様に張ってきたり痛みが出たりという状況が長く続きました。当然、疲れやすくもなり、運動もできず、ほとんど居間の座椅子にもたれて、その腹部の不快感に耐えている状況でした。その間にどんどん筋力が落ち、今では、普通に座った状況から立ち上がるだけのことも容易にできません。もちろん、階段は手すりをつかまらないと、ほとんど登れない状況です。

 それでも、ここ数日は、以前に比べて少し食べられるようになりました。やはり、食べると、そのあと、下痢をしたり、痛くなったりして、1・2時間は横にならないと、お腹がきついことが多いのですが、少しずつ回復しつつありそうな気がしています。内心、放射線が効果を上げて癌が縮んでいるようには感じられず、癌はもっと増大して、さらに胃をふさいでいるのだろう、とも思っていました。

 このような状況の中で、昨日少しだけ明るくなる材料がありました。

 実は、昨日はがん研究センター受診日で、放射線治療の評価のためのCT撮影が予定されていました。おそらく、芳しい結果は期待できそうにないし、そうなった場合の今後の治療方針について、主治医と相談しなければ、と思い、家内にも同席してもらいました。ここまで癌が増殖してしまったら、もうそれほど大した治療法があるとは思えませんし、また、あの苦しかった抗がん剤治療をしようという、気持ちにはなれません。はっきりと自分の「余命」がどのくらいなのか、聞いてみようかという気持ちもありました。

 そして、CTの結果は、主治医にしてみると「期待したほどには、癌が小さくなっていない」ようでしたが、それでも幾分か癌の壁が小さくなり、胃の中の間隙が治療前よりも少しですが、広がっていました。ただし、腹水が結構たまっきています。その状況を見て、すぐに、主治医は「このままオプジーボを継続する方法もありますが、現段階で選択できる方法として、こちらの病院に来るまで使っていた、パクリタキセル(アブラキサン)を併用していきましょう。オプジーボの効果は、そんな簡単に消えませんから、そちらでの効果を期待しつつ、アブラキサンで直接がんを攻撃するのも効果的だと思います」とのこと。

 このように、前向きに方針を示してもらうと、自分でもそれがいいのではないか、とう気持ちになってきます。そもそも、主治医の設楽先生は、私の治療を全くあきらめている気配はなく、「余命は、あとどのくらい?」などということは、意識の範疇にはないようなのです。これは、患者にとってはうれしく、心強いいことです。

 内心、今のままで、私の癌がどんどん小さくなっていくなどと、安易に考えてはいません。転移している「旁大動脈リンパ節」の癌は、やや膨らんでいる様子がうかがえますし、これまで低かった「腫瘍マーカー」はかなり高い数値になってきているようです。

 そして、これまでの一年間、期待が膨らむたびに、しばらくすると、それが一時的な淡い希望であったことを何度も経験してきました。それだけ「末期がん」は容易なものではないことを実感しているからでもあります。それでも、「今のままでいけば、来春の桜をまた見られそうだね。神戸に行って衣芙希の入学式をみられたらいいね」という会話を家内としながら柏から帰ってきました。

 長くなりましたが、おまけの話。今度のパクリタキセルは2月から6月まで群大病院で使用していた抗がん剤です。食欲不振などはあまり出ませんでしたが、手足のしびれと、何よりも髪の毛が抜けることが代表的な副作用。私も6月までにかなり髪の毛が抜けていましたが、最近では結構髪の毛が戻ってきて、いい感じなっていました。ところが、その髪の毛がまたなくなることことになりそうです。まあ、帽子生活を楽しめるから、それはそれでいいんですけどね。どのくらい抜けることになるのか、乞うご期待!です。