tsuyojijiの「ガン日和」

胃がん発見からおよそ1年になります。これまでの経過や日々の様子を書き連ねます。

最期のブログとなりました

いよいよ、最期のブログにさせてもらいます。これまで、たくさんの方にお読み頂いてきましたが、これ以上のアップは、完全に難しい状況となりました。

 

一昨日?斜向かいに、新しい患者さんが入院してきました。その方は、本当に初期のものらしく、内視鏡の処置ですむレベルのもならしいのです。ですから、その方が看護師さんや先生とお話する様子は、とても落ち着いておおらかな様子が、カーテン越しに聞こえてきます。

 

実は、今月5日に、抗がん剤治療に来たのですが、その段階で、非常に体調が落ち込んでいることがわかり、まずはそれをなんとかしなくてはということで、急きょ入院となりました。

その後、輸血も含め、いくつかの点滴を受けましたが、ますます体力は低下してしまいました。医師の説明では現状は「胃せん痛」ということで、胃の中を完全に癌が占領してしまい、この癌の中をかろうじて、食べ物が通過できているのだそうです。そのために、ますます、食べられず、栄養が取れなくなっているようです。

 

主治医や家族と相談して、もともとの自分の意思でもありましたが、こういう状況になったら、もうあえて、これ以上の病院に頼るのではなく、在宅で、緩和ケア的な治療を受けようて思います🎵

そこで、ケアマネージャーに教え子の田村紗央里をお願いをし、萬田緑平先生の萬田診療所の訪問看護を受けることとなりました。

 

明日の退院は当初娘の車で、と思いましたが、体力を考え、寝て帰れる「介護タクシー」を頼むことにしました。

帰って以降、萬田先生のもとで、どのような治療が進み、どこまで回復できるのか、できないのか、全く検討もつきません。

もしかしたら、また、奇跡的に、このブログを書けるようになるのかもしれません。しかし、現実的にここ数日の様子からして、多分、不可能だろうと思っています。

 

これで、私が帰ることや、家にいることを知ったら、多くの人たちが会いに来てくれようとすることと思います。そのお気持ちはとてもわかるのですが、今の状況では、とても皆さんに会わせられるような顔(もともと見せられるほどのものでもありませんが、)ではありません。それなので、しばらくの間、面会はお断りとさせていただこうと思います。

 

本当に、長い間、駄文にお付き合い頂きましたことに深く感謝申し上げます。そして、このブログ以外に、それ以前からの長いお付き合いを頂いた方々がたくさんいらっしいます。その皆さんにもこれまでのご交誼に深く深く感謝いまします。

 

 

オカノカップ、開催


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おはようございます。だいぶ寒くなってきたようですね🐧

今日は、第11回目の「オカノカップ」です。これは、メンバーは基本的にすべて私の教え子たち。そして幾人かの特別会員。もう、スタートして6年になりました。

昨年の12月に行ったオカノカップが、私の人生最後のプレイとなりました。

その時は病気のことをみんなに話し、「これが最期」になることを伝えました。

ところが、今年9月、体調がすごく上向き、練習も再会。「これなら、もう一回は、できるな?」と考え、幹事の鷹橋くんに相談。結果、やることになったのです。

ところが、皆さんご存知のように、10月以降、病気の進行。しかも緊急入院‼️鷹橋くんからは「延期しませんか」と言われたのですが、どうしてもやってほしかったので、開会式に、LINEのビデオ通話で参加(下がその様子)することにして、みんなに楽しんでもらうことにしました。

みんな、寒いけど、事故ないように、頑張って🏌️

ジャムレシピ


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少し見にくいかもしれませんが。今日の私のお仕事。

実は、明日、お世話になっているワークスタジオに入所されている皆さんに「岡野ジャム教室」を開くことになっていました。

作るのは、リンゴ、パイナップル、ラ・フランスの三種類。

果物の準備はできていて、あとは会場のコミセンに運んで、皆さんとわいわい楽しくジャム作りをするはずでした。ところが、緊急入院で、参加できなくなったため、このレシピを担当さんに送って、代理講師をお願いした次第。

せっかく、私の活躍場面が得られたのに、なんとも悔しく、残念なんですが、まあしかたないですね。

皆さんがチームワークよく、おいしいジャムを作ってくれるのを祈るばかりです。

緊急入院。そして、水抜き、2.3リットル。

 昨日、がん研究センター東病院に、緊急入院となりまし。

 一人で来ようと思っていたのですが、さすがに昨日は体力的に自信がなく、家内に付き添ってもらって、電車を乗り継ぎ病院へ。今までならばごく普通に乗り継ぎもできるのに、少し歩くだけで息切れ。足も疲れてしまい、「へんだなあ」と思いつつ病院へたどり着き、いつものように採血をしてもらい、診察の順番待ち。そして、順番が来て、診察に入って、設楽先生の顔を合わせたとたん、先生から「すぐに入院をしましょう。このままでは、抗がん剤はやらないほうがいいですし、まずは入院をして、全身の状況を整えましょう。」とのこと。

 驚いたのは、先週まで、低くはあったけれども安定していたヘモグロビンがこれまでで最低の6.7!!成人男性の平均値は最低が14で私はここのとろ9.3程度を維持していました。「動悸や、ふらつきはありませんでしか?」「はいまさに、その通り」

「お腹がかなり膨らんでいますが、息苦しさやお腹の膨満感は強くないですか?」「まさに、その通りです」

「そのほかにも、血液に関するいろいろな数値が、こまでよりもかなり悪い状況です、これをとにかく改善して、その上で今後の抗がん剤治療をまた考えましょう。」ということになりました。

 

 手始めは、腹水を抜くこと!病棟主治医の中島先生が処置をしながら「とりあえず、初めてだから、今回は2000CCにしておきましょう」というではありませんか。自分としては、500も抜けばいいのかなと思っていたので、びっくり。2000CCといば、1リットルペットボトル2本分。「そんなに出るものなの?」と思いつつ、ベッドに横になっていると、どこかから「せせらぎ」のような音が聞こえます。よくよく耳を澄ますと、ベッドサイドから聞こえてきます。なんと、腹水が容器に流れ落ちる音でした。

 これでは体が重く、動きずらいわけです。抜いてもらって、すぐに体に変化が。なんと、前日までは利尿剤をのんでもなかなか出なかった「おしっこ」が、結構大量に出たこと。食べてもこれまでのような腹部のもたれや痛みが出なくなったこと。歩くときに足が上がるようになったこと、等々。

 

 そして、続いては輸血。久しぶりの輸血でしたが、だんだんに関節とかに力がたまる感覚が出てきました。すべて処置が終わったのは20:00過ぎでしたが、そのあと、久しぶりにぐっすりと眠ることができました。ここ数日、なかなか寝付けなったり、夜中に何度も目を覚ましたりが続き、熟睡できていませんでした。それが、本当に久しぶりに熟睡できました。やはり、疲れていたようです。

 

 ただ、この入院のために、土曜日に予定していたワークスタジオ前橋の「岡野先生ジャム教室」は準備とレシピつくりは私がしましたが、結局皆さんにお任せ。そして、日曜日に予定していた「オカノカップ」は、当初始球式だけでも出て皆さんと顔を合わせるのを楽しみにしていたのですが、これも断念。鷹橋君に全部取りしきりをお願いすることに。さらに、塾はもちろん他の先生たちを巻き込んでご迷惑をおけけすることになってしまいました。

 

怖い「廃用症候群」回避のために

昨日、転倒した話を帰宅した娘に話しました。すると、娘が国立がん研究センターのホームページの中から、がん患者のリハビリに関する記事を見つけて来てくれました。その中の、一部の内容が、今の私がはまりこんでいる状況にピッタリ‼️その内容を下に引用します。

6.化学療法・放射線治療とリハビリ
抗がん剤治療(化学療法)や放射線治療が行われている時期のリハビリは「回復的リハビリテーション」、そしてこれらの治療が終わった時期のリハビリは「維持的リハビリテーション」となります(図1参照)。週3回から5回の運動により、治療中・治療後の体力低下を予防し、倦怠感(けんたいかん)を軽減します。

抗がん剤放射線による治療中もしくは治療後のリハビリといわれても、多くの人はピンとこないかもしれません。なぜならば、がん治療の中でリハビリの対応が最も遅れている分野だからです。抗がん剤放射線による治療中は、がんそのものや治療の副作用による痛み、吐き気、だるさなどの症状がよく起こります。また、口内炎や吐き気・嘔吐、下痢などの副作用で食欲が低下して栄養状態が悪くなり、眠れなくなることもあります。さらに、精神的なストレスを感じたり、意欲が低下したり、気持ちがふさぎ込んだりして、心身ともに疲れ果ててしまい、昼間もベッドで伏せりがちです。
こうして動かなくなると、筋力はたちまち落ちて体力も低下し、少し動いただけでエネルギーをたくさん消費するため、一層疲れやすくなります。そして、疲れるから動かない、動かないから体力が低下するといった悪循環におちいり、ついには寝たきりになる「廃用症候群(はいようしょうこうぐん)」を来してしまいます。

抗がん剤放射線による治療を行っている患者さんの多くが、疲労感や運動能力の低下に悩まされており、さらに治療が終了した患者さんのなかにも体力や持久力の低下を何年にもわたり実感している人がいます。このような状態は「がん関連倦怠感」とよばれ、近年、リハビリが積極的に対応すべき症状であると受け止められるようになってきました。

この「廃用症候群」になっては、いけない‼️と考え、今日は風もなくおだやかな日だったので、家内に付き合ってもらって、ウォーキング。約40分で3000歩歩いてきました。

明日は、日赤病院か伊勢崎市民病院のリハビリトレーニングの科を受診してみようかと思っています。

転倒、後頭部強打‼️

今日は、やけに風の寒い1日でした。いよいよ冬ですね。と、思ったら、今日から師走。

今日は、家の廊下で転倒‼️後頭部を強打しましたが、幸い石頭で助かりました。

知り合いに荷物を送る関係で、廊下に座り込んで(中腰ができないので)箱詰め作業をし、終わったので、立ち上がろうとしたら、何も掴まるものがありません。なんとか床に手をついて立ち上がろうとして、頑張ったところ、少し腰が上がったところで、一気に後ろに転倒‼️悔しかった‼️

家内からは、「ちょこっとリハビリトレーニング」をするように言われているので、本気でやらねば、という気持ちになりました。

暗闇の中に少しの光明。そこで、久しぶりのブログ。

 ずいぶん久しぶりのブログとなりました。あっという間に、もうすぐ12月ですね。

 この間、幾人かの人から、「ブログ更新されないけど、大丈夫ですか?」という問い合わせが。私もずっと気にはなっていました。しかし、なかな書ける状況ではありませんでした。それは、「気力」の問題もありましたし、書き始めると、ますます皆さんを心配させてしまう内容になってしまいそうで、それが自分でも怖かった、というのが本音かもしれません。

 前回、放射線治療を通いで行うことになったことまで書きました。結局、その放射線治療は、11月12日に終了したのですが、その後、放射線の副作用や癌による胃の圧迫ということもあり、とにかく食べ物をほとんど摂れない日が続きました。少し食べるだけで、腹部が異様に張ってきたり痛みが出たりという状況が長く続きました。当然、疲れやすくもなり、運動もできず、ほとんど居間の座椅子にもたれて、その腹部の不快感に耐えている状況でした。その間にどんどん筋力が落ち、今では、普通に座った状況から立ち上がるだけのことも容易にできません。もちろん、階段は手すりをつかまらないと、ほとんど登れない状況です。

 それでも、ここ数日は、以前に比べて少し食べられるようになりました。やはり、食べると、そのあと、下痢をしたり、痛くなったりして、1・2時間は横にならないと、お腹がきついことが多いのですが、少しずつ回復しつつありそうな気がしています。内心、放射線が効果を上げて癌が縮んでいるようには感じられず、癌はもっと増大して、さらに胃をふさいでいるのだろう、とも思っていました。

 このような状況の中で、昨日少しだけ明るくなる材料がありました。

 実は、昨日はがん研究センター受診日で、放射線治療の評価のためのCT撮影が予定されていました。おそらく、芳しい結果は期待できそうにないし、そうなった場合の今後の治療方針について、主治医と相談しなければ、と思い、家内にも同席してもらいました。ここまで癌が増殖してしまったら、もうそれほど大した治療法があるとは思えませんし、また、あの苦しかった抗がん剤治療をしようという、気持ちにはなれません。はっきりと自分の「余命」がどのくらいなのか、聞いてみようかという気持ちもありました。

 そして、CTの結果は、主治医にしてみると「期待したほどには、癌が小さくなっていない」ようでしたが、それでも幾分か癌の壁が小さくなり、胃の中の間隙が治療前よりも少しですが、広がっていました。ただし、腹水が結構たまっきています。その状況を見て、すぐに、主治医は「このままオプジーボを継続する方法もありますが、現段階で選択できる方法として、こちらの病院に来るまで使っていた、パクリタキセル(アブラキサン)を併用していきましょう。オプジーボの効果は、そんな簡単に消えませんから、そちらでの効果を期待しつつ、アブラキサンで直接がんを攻撃するのも効果的だと思います」とのこと。

 このように、前向きに方針を示してもらうと、自分でもそれがいいのではないか、とう気持ちになってきます。そもそも、主治医の設楽先生は、私の治療を全くあきらめている気配はなく、「余命は、あとどのくらい?」などということは、意識の範疇にはないようなのです。これは、患者にとってはうれしく、心強いいことです。

 内心、今のままで、私の癌がどんどん小さくなっていくなどと、安易に考えてはいません。転移している「旁大動脈リンパ節」の癌は、やや膨らんでいる様子がうかがえますし、これまで低かった「腫瘍マーカー」はかなり高い数値になってきているようです。

 そして、これまでの一年間、期待が膨らむたびに、しばらくすると、それが一時的な淡い希望であったことを何度も経験してきました。それだけ「末期がん」は容易なものではないことを実感しているからでもあります。それでも、「今のままでいけば、来春の桜をまた見られそうだね。神戸に行って衣芙希の入学式をみられたらいいね」という会話を家内としながら柏から帰ってきました。

 長くなりましたが、おまけの話。今度のパクリタキセルは2月から6月まで群大病院で使用していた抗がん剤です。食欲不振などはあまり出ませんでしたが、手足のしびれと、何よりも髪の毛が抜けることが代表的な副作用。私も6月までにかなり髪の毛が抜けていましたが、最近では結構髪の毛が戻ってきて、いい感じなっていました。ところが、その髪の毛がまたなくなることことになりそうです。まあ、帽子生活を楽しめるから、それはそれでいいんですけどね。どのくらい抜けることになるのか、乞うご期待!です。