tsuyojijiの「ガン日和」

胃がん発見からおよそ1年になります。これまでの経過や日々の様子を書き連ねます。

抗がん剤治療(TS-1とシスプラチン)③

 大変長い引用になりますが、昨年中につけていた経過日記の残りを一気に掲載したいと思います。病気情報記録を中心に残して、その他はかなり削除したのですが、結構の量になってしまいました。

 ここに載せたのが、「TS-1」と「シスプラチン」による第2クール治療中のことです。そして、12月31日以降、実は副作用に苦しめられることになるのですが、それは、また次回。

 

12/1(金)・・16:00から群大で検査。はじめに採血ルームへ。第Ⅰクール服薬終了後の初の検査。緒方医師と面談。血液の結果は、それほどの大きな問題はないとのこと。微熱の発熱については、「抗がん剤が癌と闘っているので仕方ないでしょう」とのこと。副作用もこの程度でとどまっているので、できる限り体を動かすようにとのこと。
○ステージのことを話題に出したところ、「傍大動脈リンバ節を取って、胃賃と組織検査をして、その転移の具合によってステージの程度が変わるので、今の段階では明確に示せないとのこと。
○第Ⅱクールのスタートは、12月15日に決定。

12/2(土)・・午前は、空と降園に少し散歩。そのあと、敦子と3人で月夜野へリンゴを買いに。

12/3(日)・・一端中止にして復活したオカノカップ。今回はちょうど10回記念でした。体調も良く。どうにか回り来ました。結果は48・44、トータル92。まずまずでしょう。集まったのは全部で11人。楽しくすごしてくれたようで何より。
○帰りがけ、八崎によって正兄貴と談笑。40分ほど話して帰宅。
○帰宅後、熱を測ったら、なんと38.5度。発熱の兆候を全然感じなかったので、びっくり。とりあえず、ご飯を食べて就寝。やはり、歩きすぎ、体力の使いすぎなのだろう。ここまで熱が上がったのははじめてなので、ちょっとショック。

12/4(月)…○朝の体温は37.2度くらい。大丈夫だろうと思い、敦子の酵素作りの手伝いで箕郷方面へ。木村先生から教わった天然酵母を私のために作ってくれているので、感謝しつつ、お手伝い。鳴沢粉の奥のわき水の出ている沢へ行き、1時間ほど、野菜を洗い刻む作業。ここでかなりからだが冷えた。帰ってきてこたつで暖まりながら、3時頃検温すると、37.6度。慌てて内田さんに連絡して、今日の塾を急遽休みにしてもらい、小坂橋医院へ。先生に事情を話し、抗生物質と解熱のための頓服を処方してもらい帰宅。
夕飯後、すぐに服用し、ベッドへ。かなりの汗をかいた。これで明日の回復を期待。

12/5(火)…○午前中は熱が落ち着き、37度程度。朝の薬が効いたようだ。しかい、午後は38度まで上がっていた。○夕方、群大の外科に電話。熱の状況を伝えて相談。結果的には、小坂橋医院からもらった薬を服用して、もう一晩様子を見て、明日改めて連絡をすること。

12/6(水)…○夜中に2度ほど寝汗をかいて下着を交換。熱が下がっていることを期待しつつ検温。朝の段階で37.1度。結局下がりきっていない。しかし、それほど高いわけではないので、小坂橋医院からもった薬は使わず過ごす。
○夕方、37.5度程度であったので、塾へ行き高学年の子供たちの授業を見た。授業のメインは越智君にやってもらって、それを補助。

12/7(木)…○衣芙希からはがきが届いた。表面からすべて自分で書いたはがきに感動。
○夜中に2度寝汗をかき、下着交換。それでも朝37.0度。夜中に起きたときから、少し腹痛。胃のあたりが膨らんでいる感じ。

12/10(日)ー11日(月)・・ホテルニュー塩原へ。ビュフェ形式の晩ご飯をたのしみにしていが、ほぼ期待通りで楽しめた。とりあえず発熱はなし。空は温泉が気に入り、寝る前に2回も入ってきた。温泉もなかなか良かった。○帰りがけに道の駅と千本松牧場というところで少し遊び、お土産を買って帰路に。

12/12(火)…○朝から37.5度と熱が高く、いろいろ予定していたことを取りやめ、リンゴジャムを作りながら、家でごろごろ。午後38.1度になったので、カロナールを飲んで、ベッドで一眠り。熱が下がったので塾へ。
○この発熱と、食べる際の胃のつかえ・痛みは、TS1を服用前と同じ状況。もしかすると、薬が切れている間に腫瘍が暴れているのかもしれない、と勝手に思っている。
○先日の奈良初秋君の訃報を聞いて以来、やや不安になっている自分に気づく。やはりセカンドオピニオンを求めるべきなのか。

12/15(金)…○午前中、敦子とムービックスへ行き、「最後のジェダイ」を鑑賞。帰りがけに静か庵で昼食。うどんがおいしかった。
○その後群大へ。今日から第2クールに入るとばかり思っていたが、思わぬ伏兵がいて、一歩停滞。血液検査の結果、白血球がかなり増加(標準4.0-9.6に対して21.8)していて、腫瘍分の炎症がひどいのだろうという判断。そのため、まずは抗生物質で炎症を抑えて白血球の低下を試みましょうと言うことになった。先生としては、早めに第2クールに入りたいところで、19日まで様子を見て、その段階で数値が変わっていなくても、19日にはTS-1を始めることに。
○帰宅後、夕食を食べて、早速抗生物質を服用。その後塾へ。

12/17(日)…○寝汗をかかず発熱もほとんどなし。抗生物質が効いているのだろう。ただ、痛みはなかなか消えない。
○亜樹が勤務のため、一日空と一緒。○夜、宮脇から電話。昼間送ったメールに即応えてくれての電話であった。とても心配してくれて、周囲の外科の先生たちからもいろいろ情報を集めたりして、今後も力になってくれるというメッセージをもらえた。
○その話の中で、セカンドオピニオンを頼むのもいいが、話の様子からすれば緒方先生を頼りながら、今後自分を頼ってくれていい。とのこと。また、様々な治療法(免疫療法や民間薬など)はあるだろうけれども、そのあたりは慎重にする必要があるとのこと。

12/19(火)…○第2クールスタートのための検診日。血液検査を済ませ、外科へ。しばらく待たされ、緒方先生の診断。結局白血球の数値は変わらず。緒方先生の意見としては、抗生物質を飲んでも結果が変わらないということは、炎症が原因ではなく、癌の性質かもしれないので、そのことを調べましょう、とのこと。癌によって白血球を増やしてしまうようなホルモンを出す性質のものがあり、それかどうかを見極めるとのこと。抗がん剤の治療については、通常これだけ白血球が高いと感染症等の心配もあるが、そうではないらしいので、副作用に気をつけながらスタートさせましょう、ということになった。
○薬局でTS-1をもらい帰宅。

12/20(水)…○朝から、比較的熱もなく痛みも少ない状態で、安定していた。そこで少し動こうかと思うのだが、今ひとつスイッチが入らない。敦子が午前から出かけていたので、一人で家で昼食。ジャムづくりをしようかと思うが意欲が出ず。夕方は塾へ行き、高学年の授業。

12/21(木)…○朝から調子が良かったので、空を送ってから、家中の掃除。とりせんで海苔巻きを買ってきて、敦子と昼食。
○午後、少しボールを打ちに行こうと思ったが、ふと検温してみると37.8度。仕方ないのでカロナールを飲んで休むことに。

12/24(日)…○夕方、みんなでクリスマスパーティー。孫3人がいくつも歌を歌って楽しんでいた。しかし、その食事後の痛みともたれがきつかった。○昼間、市川先生から電話。日本語教師を育成する講座の講師をやらないかというお話し。来年4月からやらせてほしい旨をお伝えした。一つ新たらしい目的ができた。

12/26(火)…○朝9時に外科外来へ来て、採血。その後入院。11:00より点滴開始。
○午後、有希と衣芙希が来てくれた。イブはお手紙を持参してくれた。
○10:0消灯。1時頃たっぷりの寝汗。その後4;30頃再度の寝汗とトイレ。その後ずっと眠れず、朝まで。

12/27(水)…○寝不足で、少しふらついた。宮内から白血球のことを気にかけるメールが届いていたので、これまでの経過について少し報告。すると、その返信にとても詳しい、血液と白血球増加に関するメカニズムについて詳しく書いてくれてあり、結論的に今の私の症状は、抗がん剤の治療効果ではないかとのこと。とても安心できた。
○9時に入浴。その後敦子が着替えを届けてくれたので、着替え。
○水分の点滴スタート
○13:30頃、小畑さんが来てくれた。16:00頃敦子・有希・孫たちが来てくれて、しばらく歓談。

12/28(木)…○昨晩も思うように眠れず。
○教授回診。11:00頃入浴。少し吐き気を感じたが食欲はある。昼食はカレー7割方食べられた。12:30頃孫たちが来院。昼食を食べて、有希親子がそのまま横浜へ行く予定であった。しかし、急に衣芙希が発熱を訴え体調が悪くなったために、今夜は前橋にて様子を見ることになり、帰宅した。

12/29(金)…○10:00頃敦子の迎えで退院。帰宅時にとりへいの弁当を食べたくなり、買って帰ってみんなで昼食。結局衣芙希の熱は収まったが、横浜へ行くのは明日に延期したので、衣芙希・有澄とも遊ぶことができた。
○むくみが前回よりも少なく安定しているが、やや吐き気があり、今ひとつすっきりしない。夕飯は鍋。少し吐き気がして、いまいちの食欲。でも、やっぱり家はくつろぐ。

12/30(土)…○衣芙希たちを9:30に前橋駅に送り、帰宅。そのあたりから副作用の吐き気、だるさが強くなり。昼過ぎからはひたすら横になって、寝ていた。
○夕飯は、お粥。その後もよく寝た。

12/31(日)…○副作用が継続。一日中。意欲減退。吐き気。