樹木希林さんの訃報に思うこと
先日、樹木希林さんがなくなりました。昨日は、山本“KID”さんという格闘家の訃報がネットニュースに大きく取り上げられていました。ふと、気になり「今年、癌で亡くなった人」と検索をしてみました。プロ野球の星野仙一さんから始まり、沖縄県の翁長知事、漫画家のさくらもももこさんをはじめ、たくさんの方が癌で亡くなっていました。
私は、あまり芸能界(と言っても、俳優さん、タレントさん、スポーツ関係、音楽関係、その他もろもろ、色々なジャンルがあるのでしょうね)に詳しくありません。テレビや映画を見たり音楽を聴いたりという習慣がもともとあまりないこともあり、芸能人については、ほとんど知識がないので、そのネットに一覧になっている「今年癌で亡くなった芸能人」の方々は、ほとんどよく知らない方々ばかりですが、それにしてもたくさんの方が年齢にあまり関係なく、癌で亡くなっています。
この中で、樹木希林さんはとても気になっていました。女優さんとしての希林さんの仕事のすべてを、当然知っているわけではありませんが、それでも、たくさんのドラマや映画でその個性的な演技力には惹かれるものが多くありました。ただ、私の中で希林さんのことが気にかかっていたのには別の理由がありました。
皆さんご存じのように、樹木希林さんは、数年前から全身をガンに侵され、ガンと闘いながら女優としての仕事をギリギリまで続けられていました。その希林さんは、長年、自然の草花を発酵させて作った「天然酵素」を飲み続けていたのだそうです(しばらく前に、希林さんがテレビのインタビューの中で紹介していました)。その酵素の作り方を、私と家内の共通の友人であるKさんから教えていただき、家内が昨年から作り始めました。そして今、毎朝作るスムージーの中にその酵素を入れて出してくれています。この酵素を通じて希林さんと繋がっている、と言ったら盛りすぎですが、長い間ガンと闘いながらも、へこたれることなく仕事に取り組む希林さんの姿に強く感銘を受けてもいましたし、自分の気持ちが萎えそうなときに、その弱気を打ち砕いてくれたのは希林さんの生き様でした。
それでも、このたびの希林さんの訃報はそれほどショックではありませんでした。それは、希林さん自身、すべて納得尽くで、この死をしっかりと受け止めていて、ご自身の人生に十分満足をして旅立ったのではないかと思うからなのです。
しばらく前に、教え子のFさんが登山家の田部井淳子さんの新聞記事を写メで送ってくれました。その田部井さんもガンと闘いながら山に登り続けたと言います。そして、今、幡野広志さんという34歳で余命3年の宣告を受けた写真家の方が、糸井重里さんと対談する記事を「ほぼ日刊イトイ新聞」という糸井さんのサイトの中で読みました。この幡野さんも余命宣告を受けた状況の中で、より力強く自分の人生を生きようとしているんですね(この幡野さんの本「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」という本を、今ワークスタジオのテキストに使わせてもらっています)。
広島カープの赤松選手も胃がんの手術を受け、その後抗がん剤治療を受けながらも、一軍復帰を目指して日々トレーニングに取り組んでいます。おそらく、多くのがん患者の方々がこのように、ガンという病魔を認めながらも、それとは切り離したところで自身の人生を全うしようとしているのだと思います。最近、自分でもそういった感覚が、あるいは覚悟みたいなものが育ってきているのを感じます。
樹木希林さんが、実際にはどうであったのか、もちろん知り得ません。しかし、おそらく、ガンがどうだとか、死ぬことがどうだとか、そのようなことは超越して、これまで自分はどう生きてきたか、そして今自分はどう生きているか、例え明日命が尽きるとしても、今の今、この瞬間、自分はどう生きているか、そういった意識、感覚がすべて優先していたのではないか、そんな気がしています。
私もそのように生きたい❗と思います。しかし、私自身が、どこまでそれほど力強くこれからの人生を造ることができるのか。ガンが進行したときに、元来弱虫な私のこと。すぐにへこたれてしまうのではないか、そんな不安が常につきまとうのも事実です。そんなとき、希林さんの「生き様」が私を奮い立たせてくれるような気がしています。