tsuyojijiの「ガン日和」

胃がん発見からおよそ1年になります。これまでの経過や日々の様子を書き連ねます。

私の名前の話

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 今朝、病院から見えた富士山。私が入院しているのは4階で、画面下のネットに何か重なって見え、どうやら富士山らしい。そこで、慌てて病室に戻り、カメラをもって最上階(9階)へ。少し、色が薄らいでしまいましたが、この写真を撮れました。

 

 昨日、担当になった看護師さんが、私の名前を見て、「これ(健)でつよしって読む方は珍しいですね」。と一言。そこで、今日は私の名前の話。

 確かに珍しいと思います。教員をしていましたから、かなりたくさんの生徒の名前に出会いましたし、仕事柄、本当にたくさんの方と名刺交換もしてきました。しかし、これまでに「健=つよし」さんに出会ったのは、たったの一度だけです。伊勢崎の殖蓮中学校の教頭をしているとき、入学生の中に発見!つい、その生徒のところに行き、握手をしながら抱きしめてしまいました。

 そもそも、なんで私にこのような名前がついたのか。それには、ちょっとした理由があります。実は私は、両親にとって五番目の男の子。といっても、2番目と4番目の兄は生まれて1年足らずで、心臓の病気で亡くなっていました。そこど、私が生まれた時に、祖母が、「とにかく、つえー名前にしろ」と言ったのだそうです。そこで、父も色々考えました、「豪」「剛」「強」など。しかし、それらは父にしみると『喧嘩が強くなりそうで嫌だった』のだそうです。そして、いろいろ辞典を調べるうちに「健=つよし」に出会って、「これだ」と思ったとのこと。

 わたしとしては、子供のころからけんかに弱かったので、「剛」や「強」でもよかったかな、という思いはありました。そして、完全に名前負けで、こんな病気を背負い込んでしまって、父親の期待を完全に裏切ってしまったような気もします。実際に、すぐに弱気の虫にやられそうになり、逃げ回ってきた人生でもあったような気もします。

【余談1】 子供のころ、次兄(5歳違い)とけんかをすると、「お前なんか、上の二人のあんちゃんが死ななけりゃ、生まれてこなかったんだ」とよく言われました。そう言われると、とても納得して、「そうなんだな、二人のあんちゃんの分の命ももらってるんだな。だから、頑張んなきゃ!」!と真剣に思っていた時期があったことを思い出します。

【余談2】 私は結婚して「岡野」になりましたが、元は「都丸」です。群馬県ではこれでふつうに「とまる」と読んでくれますが、他県では結構珍しい苗字なんです。それなので、東京で過ごした大学時代はよく「みやこまる けん」さんと呼ばれることが度々あました。

【余談3】 3人兄弟とはいえ、五番目ですから、当然長兄とは10歳も離れています。その兄が5年ほど前に67歳という若さで、心筋梗塞で急逝しました。その兄の分も生きたいと思ってきましたが、今の状況では、かなり難しい気もします。しかし、兄貴の分(生まれてすぐに死んでしまった二人のあんちゃんの分も含めて)、一日でも長く生きられるよう、気持ちを強く持ちたいと思っています。

 もしかしたら、わたしの「つよし」は、今こそパワーを発揮するべき名前なのかもしれないな、とこれを書きながら思い始めました。