tsuyojijiの「ガン日和」

胃がん発見からおよそ1年になります。これまでの経過や日々の様子を書き連ねます。

通院治療スタート、一日目の様子

 今日から、通院での放射線治療開始です。入院して治療を受けているほうが確かに楽ではありますが、病院にいると、ますます歩けなくなってしまうし、気分も滅入ってしまうので、先週の土曜日に退院をさせてもらいました。

 これまでの通院と同じく、6:50に車で(今日は家内が付き合ってくれたので、家内の車に同乗)で伊勢崎駅へ。伊勢崎発7:22の東武特急りょうもう号で北千住へ。そこからつくばエクスプレスに乗り換え。区間快速におよそ19分乗り「柏の葉キャンパス駅」へ。そしてバスに5分間乗って、病院着。今日は少し乗り継ぎのタイミングが悪く、病院着は9:50ころ。それでもちょうど、10:00からの治療時間にはセーフ。受付後、およそ25分待って、治療。治療終了は10:35頃。会計で少し手間取り、すべて終了は10:50頃。

 と、まあ、こんな感じの通院治療が1週間(来週の月曜まで)続きます。

 

 帰宅しようと、キャンパス駅に来てみると、「東武伊勢崎線は、踏切事故のために運転見合わせ中、復旧のめどはたっていません」との表示が。そこで、急きょ南流山武蔵野線南浦和へ。そこから京浜東北線で大宮駅へ。そして、高崎線(今日は、運よく特急草津に乗れました)・両毛線を乗り継いで伊勢崎駅へ。車で帰宅。それでも14:45頃には帰宅できました。

 

 さすがに疲れました。しかし、この疲れは、移動したことによるものではなく、昼ご飯を食べたことによる、腹部の違和感(鈍痛ともたれる感じと)によるものが大きいようです。その日の体調と、食べるタイミングにもよるのですが、目下食べられる量は、これまでの4分の一程度。今朝は、6枚切りの食パン半分に、長野の日本ミツバチを飼っている教え子のKさんが送ってくれた栄養たっぷりの「生はちみつ」をかけて食べました。それと味噌汁1杯とベーコンとピーマンを炒めたものを少々。

 そして、昼は少し遅くなってしまったのですが、大宮駅の駅弁屋さんで小さなお寿司のセットを買って、特急草津の中で。家内は「茨城の 栗ご飯セット」を購入。「駅弁の旅」となりました。そして、食べ始めて、結局食べられたのは、のり巻き2個、小さな握りずし2個、家内のお弁当に入っていたシイタケ(実は家内はシイタケは全く食べません。完全は食わず嫌いです。私は大好物なんですが)と焼き鮭(半分)のみでした。しかし、これしか食べなかったのに、この時の食後疲労感がさっきまで続き、この後、夕食を食べられるのかやや不安ではありますが、がんばって食べなければ。今日は、家内が私の代わりに塾の授業に行ってくれていて、次女がお休みで家にいるので、彼女の得意な卵焼きを所望しました。

私の名前の話

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 今朝、病院から見えた富士山。私が入院しているのは4階で、画面下のネットに何か重なって見え、どうやら富士山らしい。そこで、慌てて病室に戻り、カメラをもって最上階(9階)へ。少し、色が薄らいでしまいましたが、この写真を撮れました。

 

 昨日、担当になった看護師さんが、私の名前を見て、「これ(健)でつよしって読む方は珍しいですね」。と一言。そこで、今日は私の名前の話。

 確かに珍しいと思います。教員をしていましたから、かなりたくさんの生徒の名前に出会いましたし、仕事柄、本当にたくさんの方と名刺交換もしてきました。しかし、これまでに「健=つよし」さんに出会ったのは、たったの一度だけです。伊勢崎の殖蓮中学校の教頭をしているとき、入学生の中に発見!つい、その生徒のところに行き、握手をしながら抱きしめてしまいました。

 そもそも、なんで私にこのような名前がついたのか。それには、ちょっとした理由があります。実は私は、両親にとって五番目の男の子。といっても、2番目と4番目の兄は生まれて1年足らずで、心臓の病気で亡くなっていました。そこど、私が生まれた時に、祖母が、「とにかく、つえー名前にしろ」と言ったのだそうです。そこで、父も色々考えました、「豪」「剛」「強」など。しかし、それらは父にしみると『喧嘩が強くなりそうで嫌だった』のだそうです。そして、いろいろ辞典を調べるうちに「健=つよし」に出会って、「これだ」と思ったとのこと。

 わたしとしては、子供のころからけんかに弱かったので、「剛」や「強」でもよかったかな、という思いはありました。そして、完全に名前負けで、こんな病気を背負い込んでしまって、父親の期待を完全に裏切ってしまったような気もします。実際に、すぐに弱気の虫にやられそうになり、逃げ回ってきた人生でもあったような気もします。

【余談1】 子供のころ、次兄(5歳違い)とけんかをすると、「お前なんか、上の二人のあんちゃんが死ななけりゃ、生まれてこなかったんだ」とよく言われました。そう言われると、とても納得して、「そうなんだな、二人のあんちゃんの分の命ももらってるんだな。だから、頑張んなきゃ!」!と真剣に思っていた時期があったことを思い出します。

【余談2】 私は結婚して「岡野」になりましたが、元は「都丸」です。群馬県ではこれでふつうに「とまる」と読んでくれますが、他県では結構珍しい苗字なんです。それなので、東京で過ごした大学時代はよく「みやこまる けん」さんと呼ばれることが度々あました。

【余談3】 3人兄弟とはいえ、五番目ですから、当然長兄とは10歳も離れています。その兄が5年ほど前に67歳という若さで、心筋梗塞で急逝しました。その兄の分も生きたいと思ってきましたが、今の状況では、かなり難しい気もします。しかし、兄貴の分(生まれてすぐに死んでしまった二人のあんちゃんの分も含めて)、一日でも長く生きられるよう、気持ちを強く持ちたいと思っています。

 もしかしたら、わたしの「つよし」は、今こそパワーを発揮するべき名前なのかもしれないな、とこれを書きながら思い始めました。

がんセンター入院、放射線治療スタート

 月曜日にがんセンターに入院。結局、放射線での治療を試みることになりました。治療そのものは、一回に10分程度で終了するとのことで、近ければ通いでもいいのですが、距離を考えて入院することにしました。

 月曜日は、放射線科の先生の問診と、詳しい照射位置を決めるためにCT検査。

 放射線科の先生から、「痛みはすぐに取れると思いますが、胃の中のガンが小さくなるどうかは、なんとも言えません。しかし、現状ではこれも一つの手なので、とにかく10日間の照射を行いましょう。

 とのこと。あまり期待できなそうな言い方ではありましたが、かえって、安心したような感じになりました。これまで、常に新しい治療薬のたびに期待をしつつ、すべて裏切られた思いが強く、過度の期待をしないで、済みそうな気がしたからかもしれません。

 火曜日(昨日)、初めての放射線の照射。所要時間は、10分程度。まったく痛くもかゆくもなく、機械が胃の周囲を何度か行ったり来たりする様子を見ている間に終了。これを毎日続けるとのこと。

 

 病院に来てから、特に胃がんが胃の中を席巻しているために来る、鈍痛、重苦しさがあるために、なかなか意欲がわいてこず、このブログもやっと今日になり書く気になってきました。先生たちが言うように、この後、放射線の治療効果で、今の癌性の痛みがなくなってくれたら、もう少し行動的になれそうな気がすんですが。

 これから売店へ行き、はがきを買ってきて、衣芙希・有澄と空に手紙を書こうかと思っています。

「日々是好日」を積み重ねて人生を締めくくりたい!

 今週は、月・火と柏の癌研に通って治療。そして、今日もまた柏に来ています。昨日は、ちょうど通院の合間の休日でした。点滴の効果か、少し気力がアップしてきた感じだったこともあり、気分転換に映画『日々是好日』を観てきました。ご存知の方も多いかと思いますが、樹木希林さんの最後の出演映画でした。黒木 華さん演じる女性が、大学時代に、お茶の師匠の樹木さんの元へ通い始め、それから二十年、お茶を通して、というよりも師匠の樹木さんとの触れ合いを通して人生を重ねていく様子が、ごく普通の日常のちょっとした悲喜こもごもとともに、とても丁寧に描かれています。これこそが映画のタイトルの「日々是好日」なんだろうと思います。

 

 さて、ようやく自分の気持ちが落ち着き、気持ちの中を整理して客観的に今回のブログを書けるような気がしてきました。

 このように大げさな書き出しになってしまいました。それは、月曜のCT検査の結果、胃がんがさらに拡大していることが判明したことによります。画像を見る限り、ほとんど胃の中の食べ物の通り道がなくなっている状況でした。さすがに、これは自分でもショックでした。これまでオプジーボが効いて、いずれ癌が小さくなるという期待が大きかったからだと思います。私の胃がんは「マイクロサテライト不安定性」という特徴があり、オプジーボが効きやすい、と聞かされていたことも、その期待を増大させていたのも事実です。そのために、ブログを書くことも、「オカノ通信」というグループLINEを書くことも、すべて放棄したような状態でした。しかし、ようやく、その気持ちの整理がついてきたということです。

 前回も書きましたように、このブログは、一人のがん患者である私が、その時その時の状況によって、何を考えて、感じているかをできる限り客観的に書くことを信条としています。読んでくれるのは、主に教え子やごく親しい人たちだけですから、その人たちに余分な心配をかけないためには、本当はこのようなことは書かないほうがいいのかもしれません。そして、それほど遠くない将来に、このブログを書くこと自体出来なくなる日がおそらくやってきます。しかし、岡野健という一人のがん患者がどのようにがんと向き合おうとしているのかを書き記すことで、読んでくださる方々に何かを残せるのではないか、そんな思いで、書き続けようと思っています。

 

 さて、この2週間で、体重が一気に4キロ以上減りました。3週間前には52キロ前後あった体重が、昨日は47.2キロに。それまで体重計に乗るのは、むくみの取れ具合を見ることが目的でしたが、この3週間はどこまで痩せていくのかが気がかりで、体重計に恐る恐る乗っています。

 体育の日前後の3連休で腸の炎症がひどくなり、発熱が続いたことはすでに書きましたが、いったんその後体調が戻りつつありました。ところが先週中頃から胃に痛みが出てしまい、ほとんど食事をとれなくなってしまったのです。それで、急きょ主治医と連絡を取り、月曜日の受診となり、先ほど書いたCT検査の結果となりました。

 主治医の設楽先生のお話では、

 〇とにかく腸の状態を落ち着かせるまでは、次の治療はお休み。

 〇腸の落ち着き具合を見て、オプジーボを再開するか、抗がん剤に切り替えるか、胃の癌に放射線を当てるか、いずれかの方法を考えましょう。

 〇オプジーボをいったん休止して、放射線抗がん剤の治療を行って、治療効果を上げている人も結して少なくはありません。

とのこと。

 とにかく、目下食欲がわかないこともありますが、それ以上に食べようとしても胃が痛くなってしまうので、量を摂れません。今朝も味噌汁1杯と食パン4分の1枚が限度でした。

 

 この3、4日いろいろ考えました。この先どれだけの時間が自分にあるのかはわかりません。この後治療効果がぐんと上がって今の心配は杞憂に終わるのかもしれません。しかし、もうあまり過度の期待はしません。がん患者が徐々に死期に向かうのは避けられないのです。だとしたら、「自分は、この先(少なくもベッドに寝た切りなるまで)どのように生きるべきなのか」「どのように死を迎えればいいのか」少しじっくり考えてみたいと思っています。

 このように書くと、「オカノは生きるをあきらめたのか?」と心配する人も多いことでしょう。でも、決してそんなことはありません。「生きられる限りは、少しでも生きることにしがみつき、悪あがきでもなんでもしていくしぶとさは持ちたい」と思っています。幸いにも、私には大勢の教え子の応援団がバックに控えてくれています。そして、家族もその時その場の状況を見ながら、全面的に私を支えてくれています。これだけの大きな応援が大きなエネルギーとなって、私の中に流れ込んでくれているのを感じています。

 

 「日々是好日」の映画の中で、「人の人生は、突然何が起こるかわからない。だから、その日その日を一生懸命に生きるんだ」というような話題ができます。まさにその通りです。その日その日を、決して特別なものでなくても、ごく普通に生きて、晩御飯の時に家族が顔を合わせた時や、お風呂に入ったとき「ああ一日を送れたな」という毎日を積み重ねられたら、きっと安らかな最期を迎えられるのだと思います。

 家に帰ったら、「日々是好日」を毛筆で半紙か条幅に書きたくなってきました。

ガンのいやらしく・怖いいところ

 「ガン日和」らしい内容になってしまいますが、悪しからず。

 最近、このブログを読んでくれる人のためにも、「元気サイン」としての内容を心がけてきたつもりですが、ここのところ、なかなかそうはいかない状況で、『こういう時は書かないほうがいいのだろうか』とも思いました。しかし、そもそもこのブログを始めたきっかけは、「癌を抱え込んでしまった一人の患者として、その時々の状況とそれに伴う心理状態などを伝えることが大事なのでは」という数人の教え子たちからのアドバイスでした。それなので、あえて書き続けます。

 前回の続きになってしまいますが、体調不良が続いています。口やのどの痛みは、ステロイド剤の副作用による「カンジタ」とのこと。これは薬をもらって、三日目にしてかなり良くなってきました。

 しかし、昨日までの2日ほどはほとんど食べられませんでした。そして、食欲自体がかなり減退していることもさることながら、食べた後の胃のつかえから痛みがひどくなり、今日も通常の半分も食べると、痛くなり始めます。食べられないことで、この4日ほどで体重が一気に3キロも減りました。

 設楽先生に様子を伝えると「胃がんのせいかもしれませんし、みぞおちより上であれば食道カンジタの可能性も」とのこと。場所的には明らかに胃のあたりです。6月頃、まだ群大病院にお世話になっていた頃に多かった症状でもあります。それだけに、『また胃がんが暴れているのか』と思わずにいられません。

 こうなってくると、やはり「自分が進行型の胃がん」であることを、いやでも再認識せざるを得ません。一時期は、「自分が癌であることを忘れていられる」時期もあったわけですが、こうやって体調不良になると、まったく状況が変わってきます。

 今日、お休みをもらって家にいたのですが、少し体を動かそうと「衣替え」をしました。その中で、半そでシャツを畳み直しながら『来年、これを着ることはあるんだろうか』という思いがふと頭をかすめます。また、家内から、亡くなった義父の「大島紬」の反物で私の着物を作ることになったことを聞きました。出来上がるのは2月頃とのこと。『そんな頃まで、今のように普通に生活できているのかな』と不安になります。

 5月頃のこのブログに、孫の衣芙希のランドセルを注文した時のことを書きました。そのランドセルが出来上がるのが11月末で、『そのランドセルを自分は見られるのだろうか』と書きました。実際にはその後の治療効果もあって、このままいけば、ランドセルを見ることはできるようです。『では、来年の4月の入学式は?』という思いが過ります。

 

 こういったことが、癌という病気のいやらしく、怖いところのような気がします。

 「気持ちの奥底に、大きな不安が冷たいマグマのように滓になって渦巻いていて、ちょっとした体調の変化でその不安が噴き出し心の平安をかき乱し、大きな不安に苛まれる」のです樹木希林さんだけでなく、亡くなる直前までがんと闘いながら人生を全うした人の話はよく聞きます。それらの人たちもきっと、そんな様子ではなかったのかと思います。それだけに、その大きな不安につぶされることなく、がんと闘いながら、仕事を続けて頑張っている人たちは本当にすごいと思います。

 それに引き換え、ちょっと「食べられない、胃が痛い、体重が落ちて疲れた」という程度の理由で仕事を休み、家でゴロゴロしている自分の弱さと向き合わされるのも、がんのいやらしく、怖いところでもあります。

 そういえば、今日、ガン宣告から一ちょうど年が経ちました。

薬の副作用の連鎖

    体育の日がらまりの三連休、熱で悩んだ話、それに関係して薬疹が出たことは前回書きました。今日はその続きです。

    あのあと、木曜日に再度がんセンターへ行き、主治医の診察。結局抗生物質の薬疹だろうということで(オプジーボでも出るとのこと)、その日、ステロイドの点滴を受けて帰りました。その結果 、身体中の蕁麻疹は二日後には消え、熱も落ち着きました。

     ところが、今度は顔の痒み、体のダルさ、口内炎がひどく出てしまって、特に口の中は、唇から喉の奥まで全体に小さなブツブツができてしまい、何かを飲み込むのに、大変難渋しています。4日目になりますが、なかなか引いてくれる気配がありません。今朝も冷めた牛乳と食パンをして少しかじって出てきました。

    

     そんなことで、この一週間、、ワークスタジオも塾も休ませてもらい、朝のウォーキングも自転車こぎもサボって、家でゴロゴロ。発熱前に、ゴルフ練習を再開したのが嘘のような落ち込みぶりに呆れています。そう言えば、体力の落ちた私には、今までのクラブが重すぎるので、アイアンの7番、8番、9番、ピッチングの4本セットを買いました(それ以外は借りることに)。そのクラブが三連休前に届いているんです。でも、まだ一度も使えずにいます。

     

     よく聞く話ではありますが、ある症状を押さえるために1つの薬を飲むと、その薬の影響による別症状が出て、今度はそれを押さえるためにまた次の薬を飲むという、そんな悪循環に翻弄されている感じです。オプジーボが効いてくれて、体調がとてもやよくなった、と喜んでいた一方で、その副作用の「腸炎」が続き、それが少し重くなって発熱。そのまま、今回の騒動に突入。やはり、がん治療、一筋縄ではいきません。「がん日和」から「ジャム日和」に変わるのは、いつになることやら。

     いずれにしても、早く口の中が落ち着いて欲しいと思います。

     今日はこれから6回目のオプジーボの点滴です。     

 

 

癌との初対面、一周年記念日

 今朝は一気に冬型の気圧配置ということで、冷たい雨と北風が窓を打ち付けています。いよいよ秋が深まってきますね。

 今日、10月12日は、「癌との初対面、一周年記念日」です。と、そのことに触れる前に、ここ数日の「熱トラブル」について。

 先日の三連休、熱に悩んでいたことは前回書いた通りです。

 火曜日、前日からの熱が落ち着かないこともあり、柏のがんセンターへ行くことになりました。この日は、遅くなったこともあり、電車は使わずに自動車で。到着後、血液検査の結果を待って、主治医の診察。その結果、ステロイド剤と抗生物質感染症の心配もあるので)の点滴を受けることに。比較的短時間の所要時間でしたが、全部終了したのは、18時ころでした。とにかく、点滴をするセンターが大変な混雑で、点滴を受けるソファーがなかなか空かず、治療が始まったのは15:00頃でした。

 この点滴を受けて帰宅してから、まったく熱が上がりません。これは良かったかな、と思いつつ寝る準備をして、ベッドに入りました。ところが、興奮状態になってしまったらしく、まったく眠れません。結局2時ころから1時間半ほどまどろんだ程度で、朝を迎えてしまいました。

 そして昨日(水曜日)。相変わらず発熱はありません。しかし、体全体が熱っぽいようなダルさを感じ、なんとなく力が入りません。それでもワークスタジオのほうを休みがちであったので、午前中だけでもと思い出勤しましたが、結局、12時まで持たずに少し早めに上がらせてもらって帰宅しました。そして夕方、またもや一気に38度まで発熱。夕食後の腸の炎症もひどく、カロナールを飲んで入浴をせずにそのままベッドへ。熱が下がらずにいたので、0:00頃にロキソプロフェンを服用。すると、その後3回ほど大汗をかき、朝には37度台前半に。38度台までの発熱があったこともあり、主治医と相談して、がん研に行くことになりました。前日入浴をしなかったので、朝食前に入浴をしたところ、全身に蕁麻疹ができてきているのに気づきました。前日からの顔が赤いのはこれだったんですね。その様子を写メで主治医に送ったうえで、柏のがん研へ。

 診察の結果、「オプジーボでも薬疹は出ることがあるけれども、抗生物質投与直後からの薬疹のようなので、感染症の疑いは低いし、抗生物質はやめましょう。そのかわり、腸の炎症を抑える意味でステロイド剤を増やし様子を見ることにしましょう。」という主治医からの話があり、診察後にプレドニンの点滴を受けて帰ってきました。その後、体のだるさはある程度消えて熱もだいぶ落ち着いてきました。

 今は、少しの体のだるさと、顔・頭・首を中心にかゆみ、それと口腔内、扁桃腺付近の喉の軽い痛み。やはり、これだけひどく薬疹が出ると、こんな症状もでて来るんでしょうね。申し訳ないとは思いつつも、今日もワークスタジオはお休みをもらいました。

 なんにしても、やはりがん治療は一筋縄ではいかないようです。

 

 そして、その癌と初面したのが、去年の今日なのです。小板橋医院に行き、胃カメラの撮影を受けているとき、小板橋先生が「なんだこれは?」と驚きの声をあげられ、画像を一緒に見ていた私も、一瞬胃カメラを飲んだ苦しみを忘れたほどに、びっくりしたのは胃壁にできた大きな「溶岩ドーム」のような塊。これが癌との初めての対面でした。このとき『これはただごとではないな』と覚悟ができたような気がします。

 あれから一年。あっという間に過ぎたような気がします。とにかくいろんなことがありました。その様子は、ずっとこのブログに書いてきましたが、考えてみると、あれだけの大きな癌(いくつかのリンパ節に転移をし、膵臓にまで浸潤しているほどの)でありながら、よくここまで持っているな、というのが正直な感想です。