tsuyojijiの「ガン日和」

胃がん発見からおよそ1年になります。これまでの経過や日々の様子を書き連ねます。

教師としての「勲章」

f:id:okanoken:20180807104704j:plain

 先日、歴代の教え子たちが私を励ます会を開いてくれました。私が教員をしていたのは37年間ですが、実際に教壇に立っていたのは16年間でした。最初の8年間は前橋・伊勢崎・富士見(現前橋市) の中学校で、その後の8年間は群馬大学教育学部附属小学校に勤務していました。その後は教育行政・管理職となってしまったために、実際に担任をしたり授業を教えたりはかないませんでした。

 この16年間の教え子たち、地域も世代も全く異なる36才から53才までの130人ほどが一堂に会してくれました。

 学年ごとの同窓会、クラス会はこれまでに何度も開いてもらってきましたが、このような会は、前代未聞かと思います。最初、この話があったときには、「そんな会は恥ずかしいし、みんなとのお別れ会みたいになってしまいそうだからしなくていいよ」と言っていたのですが、5月の末、それまでの抗がん剤の効果が停滞してる状況の中で、『わがままかもしれないけど、最期にこれまでの教え子たちに会いたい』という思いが出てきて開催してもらうことにしました。当初は、4,50人集まってくればいいね、と幹事と話していたのですが、実際には全学年の人たちが駆けつけてくれました。

 これも、わたしが癌になったという緊急事態だからこそのイベントとなったわけですが、それでも、私の病気を聞きつけてこれだけの教え子たちが集まってくれたことは、本当にうれしいことでした。この際だから、正直に書いてしまいます。日本中にどれだけの先生がいるかわかりませんが、小・中学校の教員をしていて、このような会を開いてもらえる先生はそうそうはいらっしゃらないかと思います。そもそも自分がどうしていろいろな生徒がこれまでもずっとつながってくれていて、このような会を開いてもらえたのか、その理由ははっきりわかりません。それでも、担任時代、一人一人の子どもたちと真剣に向き合い、体罰もありましたが、その子とのコミュニケーションをとにかく大事にしてきた、という自負はあります。

 現在教員をしているYさん。彼女は中3で国語を教えたのですが、担任はしませんでした。しかし、彼女は私を結婚式に呼んでくれ、毎年年賀状をくれ、ここ数年FacebookやLINEでつながっています。「担任してもらった人たちが、先生とつながり続けるのもすごいけど、担任してもらっていない私が先生とつながり続けるって、もっとすごいでしょ」と、妙な自慢をしていました。

 結婚式といえば、よく中学・高校の先生は「恩師」として招待されますが(最近はほとんどなくなったようですが)、私を招待してくれた教え子の中には、小学校3年、あるいは4年生だけの担任だった人もいます。名古屋に住んでいるIさんは、4年生の1学期にアメリカへ行ったために、その3カ月だけの担任だった私を招待してくれました。

 何人もの教え子が、「小・中学校時代の先生たちの中で、とにかく印象に残って、よく覚えているのは先生に教わった一年間なんです。」と言ってくれます。前橋在住で小学校4年生の時に担任したAさん。大学受験で浪人した時、予備校の先生から「あなたはだれでもいいから、特定の人を決めて、手紙を書きなさい」と言われたのだそうです。そして、いろいろ考えた末に、手紙の相手として私を選んでくれて、その手紙のやり取りが続き、もちろん彼女の結婚式にも呼ばれることになりました。

 なんとなく、すべて自慢ぽっく書いてしまいました。しかし、これらは、教師として自慢していいことのように思うようになりました。先日、写真の記事が上毛新聞に掲載されたとき、伊勢崎在住のTさんが「この記事は、先生のお祝いの記事というだけでなくて、若い先生たちに、こんな先生もいるんだ、と思って目標にしてくれたらいいですね」という趣旨のことを言っていました。今の時代、いろいろな背景があり、学級担任が個々の子供たちと、深いつながりを作りにくくなっているのは事実かと思います。それだけに、Tさんの言葉にはうなづかざるを得ません。

 先日、近所の知り合いが「先生、新聞見たよ。あれは教師として最高の勲章だね」「勲何等とかっていう叙勲を受ける偉くなった先生たちもたくさんいるだろうけど、そんな勲章よりも、はるかに輝いているよ」と言ってくださいました。なんともうれしい言葉でした。

 なんにしても、このような会が催された一番の背景にあるのは、私が癌になったこと。そう考えると、癌になることもそれほど悪いことではないのかもしれません。