tsuyojijiの「ガン日和」

胃がん発見からおよそ1年になります。これまでの経過や日々の様子を書き連ねます。

緊急入院

    連日、信じられないような暑さに見舞われていますが、皆さん、体調はいかがでしょうか?とにかく、無理をしないのが一番ですね。

 

    さて、先週の水曜日に「オプジーボ」の投与がスタートしたことは前回書きました。今回のオプジーボは、これまで行ってきた抗がん剤と異なり副作用は比較的少なく、もし出るときには、やや重いものが出るとのことでした。それなので、点滴時には吐き気止めなどの予備的な薬の投与もなく、短時間で終わり、帰宅できました。

     ところが、その晩から突然発熱と腹部の痛みが断続的に起こるようになりました。これまでも、痛み止の薬を飲まずに発熱することはよくあったのですが、今回は少し様相が異なり、薬で一時的に下がってもすぐに上がってきて腹痛を伴いました。そんな状況が金曜日まで続きました。

    そして、土曜日。午前中は「ワークスタジオ群馬」さんでの授業があり、熱を心配していたところ、幸いにして、落ち着いていたので授業を行いました。ただ、その途中から、今度は下腹部に痛みが出始めました。自宅に帰ってから、その痛みがひどくなり、発熱も絡んで、土曜日から月曜日にかけて、「のたうち回る」という表現をしたくなるような痛みに襲われ、苦しんでいました。

    ガンセンターの設楽先生からは、メールで腹痛が治まらない場合は受診に来るように言われていたので、連絡を取り、次女に柏まで乗せてもらって、診察を受けました。簡易的なCT検査をした結果、S字結腸の辺りが浮腫んでいて、治療が必要であること、オプジーボ投与後の発熱や胃部の痛みの経過を見たいとのことで、急きょ入院を進められ、そのまま緊急入院となりました。

    入院後も発熱と腹部の痛みは断続的に襲ってきていたのですが、21時頃、突然、猛烈な痛みと吐き気に襲われ、一気にすごい量の汗をかきながら、トイレに連れていってもらいました。何も食べてはいないので、食べ物は全く出なかったものの、突然、血液を吐いてビックリ。人生初の吐血でした。その後、病室に戻っても、猛烈な痛みは続き、「救急車を呼んでくれ🚑」と叫びたくなるような痛み。しばらくして当直の先生が来てくれて、痛み止めを処方してくれて、ようやく収まりましたが、昔、胃をとった後の腸閉塞でさえ、これほどいたくなかったような気がします。

    そして、入院2日目の今日は、朝から検査と点滴続き。点滴は、食べられないので、ずっと続いていますが、午後になり急きょ輸血をすることになりました。昨日、来院時の検査では、ヘモグロビンは9.1と聞いていたので、なぜだろうと思っていたら、今日の検査では6.1とのこと。やはり、昨夜の吐血と下血が影響したようです。それにしても、目下、右手は栄養材の普通の点滴。左手は、輸血。朝の採血、検査関係の注射、看護師さんの失敗を全部合わせて、今日は、7回も針を刺されて、絆創膏だらけです。

    ちなみに、大腸内視鏡と像影剤を使ったCT検査が今日のメインの検査でした。

    設楽先生がおっしゃるには、オプジーボによる免疫反応が極端に出過ぎたのかもしれないけれども、おかしいな➰とのことでした。でも、午後になり、だいぶ痛みも消えつつあり、このブログを書く意欲が出ました。

   何が何でも金曜日には帰り、土曜日の「かたかごの会」には出なくてはなりません。

  

マイクロサテライト不安定性

 柏に通い始めてちょうど1ヶ月が経過しました。2週一回の点滴に通うわけが、結局毎週検査に来ている感じです。

 3週間前の組織検査の結果、「マイクロサテライト不安定性」という結果が出ました。一体これはなんだ?と言うことですよね。先週の診察の際に、主治医の設楽先生から示されました。とてもいいニュースですよ。と前置きがあり、この「マイクロサテライト不安定性」の患者は、「免疫チェックポイント阻害剤」オプジーボ)が効きやすい傾向があるので、期待して来週から切り替えましょう。というお話しでした。

 一般に、胃がんは、他の臓器のガンに比べ、治療の幅が狭いと言われています。そのために、ステージが進んだ進行癌からの治癒率はかなり低いのだそうです。そういった中で、昨年の10月頃から、この「免疫チェックポイント阻害剤」が胃がんでも適用できるようになり、期待が高まっています。これは、最新の癌治療の一つです。しかし、実際にすごくよく効いて癌がかなり小さくなる人は10パーセント程度、40パーセントくらいの人が横ばい程度の効果とのこと。

 ところが、「マイクロサテライト不安定性」の癌患者には、この薬の効き目がとても高くなるのだそうです。そもそも、この「マイクロサテライト不安定性」とはどういうのかというと、癌自体の遺伝子が不安定になり、ばらつきが出やすい癌のタイプとのこと。このタイプの患者に「免疫チェックポイント阻害剤」を注入することで、体の中の免疫が、癌を敵(異物)として認識しやすくなり、癌を攻撃しやすくなるのだそうです。確かに、私にとってはこれまでで最大のビッグニュースでした。

 それにしても、いろいろなタイプがあるものです。初めて胃がんとわかったとき、「あなたの癌は、G-CSF産生腫瘍という胃がん患者全体の1%もいないほどの珍しいタイプです。」と言われました。これは、白血球を作りやすい性質を持ち、進行が速い、というたちの悪さを有していました。そして、今度の「マイクロサテライト不安定性」の癌患者は、胃がん患者全体の3、4%しかいなのだそうです。設楽先生も、たくさんの患者さんを見てきて、これまでに10人程度しか出会っていなとのことでした。そして、その多くの人が薬が良く効いていたので「岡野さんも期待して、この薬に切り替えましょう。たくさんの教え子さんが応援してくれているようですから、何が何でもこの薬で乗り切りましょう」と。力強く言ってくださいました。

 実際の点滴に要する時間は1時間程度で、これまでの点滴の中では最も時間が短く、副作用も比較的内輪で済むとのこと(ただし、ごくまれに重篤な症状が出るので用心してくださいと言われました)。

 今日、第1回目のオプジーボ点滴を打ってもらって帰ってきました。

九州旅行

7月9日から11日まで、家族四人で九州旅行に行ってきました。

     今後、なかなか家族で旅行もままならなくなるかな、という思いもあって、神戸の娘や孫たちも交えて、グアムや沖縄を視野に入れて計画をスタートさせました。しかし、娘たちの都合や私の治療日程などもあり、結局、四人での九州旅行となりました。

    初日は、まず羽田から長崎へ飛行機で。そこでレンタカーを借りて長崎市内へ。今回の九州へのきっかけは、長崎出身の娘の親友が里帰り出産をしたので、その赤ちゃんに会いに行くこと。それなので、まずは、そのお友達の家に娘と孫を送り、家内と市内観光をしようと考えていました。ところが、そのお友達のお父さんが案内役を買って出てくださり、車でいろいろ案内をしてくださいました。私は長崎は2回目。教育センターにいたときに、出張でくる機会があり、その時主だったところは見ていました。ただ、原爆資料館には寄れなかったので、今回、ここだけは、是非行きたいと思っていたので、真っ先に連れて行ってもらいました。夜は、お友達のお父さん推薦のお店でチャンポンと皿うどんを堪能。なぜかこの日は胃の調子がとてもよくて、結構食べられました。何しろ、チャンポン麺は私の大好物ですから。今年、前橋市内にあってチャンポン麺で有名だった紅蘭さんが閉店し、それ以来食べられなかったので、胃ががんばってくれたのかもしれません。残念ながら、有名な夜景は見られませんでした。

    二日目は、平和公園に寄って平戸までのドライブ。その平和公園でちょっとした出来事が。私は路上駐車の車にいて、家内と娘、孫の3人が平和像を見に行きました。その時、8月9日の祈念式典のために、クレーン車に乗った人たちが像の清掃作業をしており、その様子をテレビ長崎が取材に来ていました。そこで、3人が取材してもらい、なんとテレビ長崎のニュースに出たのです。孫はアップで写してもらっていました。このあと、九十九島の水族館(海きらら)で孫を遊ばせ、家内が希望していた有田焼の里で買い物。そして、平戸のホテルへ。

   三日目は、伊万里呼子、博多、別府の長距離ドライブ。伊万里は少しだけの観光。この日のメインは呼子河太郎のイカの料理。3年前に、佐賀の出張に来ることになったとき、群馬大学の濱田先生から「佐賀へ行くなら、是非呼子イカを食べに行ってください」と言われ、仕事が終わってから、車で呼子まで来て、イカを食べて帰りました。その時のことが忘れられず、是非家族を連れてきたかったのです。透き通ったイカのお造りに家内も娘も感激していました。足が動く様子を恐がっていた孫も「おいしい!」と言ってたくさん食べていました。このあと、九州大学病院でリンパ腫の研究をしている宮脇君に会うために博多へ。つい話し込んでしまい、気づくと17時を回っていて、慌てて別府のホテルへ。ホテル到着は20時でした。ホテルでは、おいしそうな料理がたくさん出たのですが、疲れが出たのか、あまり箸が進まず、温泉に浸かって、早々と寝るとことに。

   四日目(最終日)は別府の地獄巡りをした後、大分空港から羽田へ。朝から食欲がほとんどなく、朝も昼も、何を見ても食べる気がしません。症状からすると、どうやら副作用が出てきた感じでした。最初のイリノテカンの副作用は三日目、四日目に出ていたのですが、今回は出ないままにここまで来ていました。強い吐き気とかはないのですが、お腹全体がドンヨリとして食欲が全く出ません。はしはしとした行動が思うようにできません。運転はすべて娘任せ。羽田から前橋までも、かなり渋滞がありましたが、ずっと娘に運転してもらいながら、帰ってきました。

    多少の疲労や副作用のだるさはありましたが、楽しく旅行をすることができました。この四日間、胃のつかえは、先週ほど強くなく、通りがよくなっている感じでした。

     「もしかして、ガンが小さくなっているのでは!」そんな期待を持って、今、柏のガンセンター東病院でCT検査の順番を待ちつつ、これを書きました。

「イリノテカン」点滴、輸血、アルブミン製剤点滴

  昨日、国がん東病院に行って治療を受けてきました。「イリノテカン」2回目の点滴です。1回目から症状的にはあまり変化がなく、腹部の恒常的な膨満感による食慾不振が少しずつ強くなってきているのが、一番の困りごとであることを主治医には伝えました。やはり、がんが胃をふさいでいるので、仕方のないことのようです。

 先週、急きょ輸血を受けたことで、ヘモグロビンの値は幾分回復していました。しかし、まだまだ基準値を大幅に下回っているので、今回も輸血をすることに。さらに、アルブミンの値が極端に低くなっていることから、アルブミン製剤も入れることになりました。「アルブミン」はもともとずっと低くて、そのためにむくみが改善されないのではないかともいわれていました。そもそも「アルブミン」とは血漿中に最も多く含まれるタンパク質で、血管中の水分を字保持するのがその主な働きなのだそうです。

 結局、昨日は点滴センターのベッドで5時間、ずっと点滴台につながれ、終了したのは19:00でした。幸い、北千住発19:52の伊勢崎行き「りょうもう号」に乗れたので、22:00前には帰宅することができましたが長い一日でした。

 「イリノテカン」2回の効果を見るために、来週の金曜日に病院へ行き、CTの検査をすることになりました。主治医の設楽先生の話では、その様子を見ながら、新たな治療薬の使用をスタートさせる可能性もあるとのこと。

 この先にどんな治療と結果が待ち受けているのかは、わかりませんが、とりあえずは、ここ数日の間の副作用が強く出ないことを願うばかりです。来週は、次女が1週間の夏休みをとれたのと、だんだんに家族旅行の機会も減ってきそうなので今のうちに、という思いもあって、4日間の九州旅行を予定しています。その旅行までは、副作用を引きずりたくはないと思っています。九州で食べたいものがたくさんありますが、はたしてどれだけ食べられるのやら、それが気がかりです。おいしいものの「ちょっと食べ」戦法で、九州の味を楽しんで来ます。

濃厚な時間の半年が経過

 ふと気づくと、すでに7月に入っていました。異例の早い梅雨明けにも驚かされましたが、ここ数日の猛暑には驚く以上にあきれ果てた感が強いですね。

 さて、この半年を振り返ったとき、これまでの人生の中で、おそらくこれほどの「濃厚な時間」として経過した半年はなかったのではないかと感じています。年齢とともに、月日の経つのが早く感じられるものです。しかし、私にとってこの半年間は、早いとか遅いという感覚よりも、その中身の濃さに驚かされています。

 それは、すべて病気によるものであることには違いありません。これまで書き溜めてきた日記(正月に書き始めた日記を、一日も欠かさずに半年間かき続けたのは、初めてのことで、これも驚きです)にしても、このブログにしても、そこに書かれていることがそのすべてであるわけですが、副作用のために何も食べらなかった正月から始まって、むくみのための緊急入院、新たな抗がん剤での治療、セカンドオピニオンと新たな病院での治療のスタート。このような事象の中で、抗がん剤による治療の経過、定期的な血液検査の結果等々による激しい気持ちの浮き沈みを、これまでの人生で経験したことがなかく、そのことが時間の経過の重みとなっている一つの要因かと思います。

 

 しかし、それ以上に、「濃厚な時間としての半年」として自分の中に認識される理由があります。それは、「人とのつながり」方の変化にあります。

 家族、兄弟、親せき、友人、という一般的なつながりのほかに、私にはとても貴重な「教え子」の存在があります。これまでも私のスマホの中の電話帳の半数は教え子たちでしたが、日ごろ連絡をよくくれて、私とのコミュニケーションをとってくれていたのはその中の一部の人でした。それなので、発病について知らせたのはその人たちだけで、ほかの友人には口止めをお願いし、そのときの15人ほどの教え子たちと「オカノ通信」というLINEのグループを作り私の病気の様子を伝えていました。

 しかし、少しずつほかの人にも漏れ始め、また、何人かの人たちから「ほかの人たちにも伝えていいのでは」という意見をもらい、1月の半ば、Facebookに公開し、同時にこのブログを始めました。そうこうするうちに、「オカノ通信」につながる人たちが徐々に増えてきました。春頃には、おそらく70人ほどに増え、今では150人を超えました。そして、このグループのほかに、それぞれのクラスごとのグループもできて私を招待してくれて、それまで全くつながっていなかった人たちともつながるようになりました。

 これらのLINEグループの中で、教え子たちがいつでも最大限のエールを送てくれ、またさまざまな情報を真剣に探して伝えてくれます。そして、時にはたわいもないやり取りをしつつ、時に私がネガティブな書き込みをすると、即座におしかりや応援のメッセージが届きます。時には、つながった人同士で私の担任時代の悪行や失敗談を伝えあって楽しんでいたりもしています。

 このLINEでつながる教え子たちは、最年長は53歳、最年少は35歳になる教え子たちです。彼らと毎晩のようにいろいろな会話をしてきました。そのことが、これまでの半年間がただの時間経過ではなく、私の中に大きな充実をもった「濃厚な時間」をもたらしてくれているのだと思います。

 

イリノテカン点滴一週間 緊急輸血

    先週、イリノテカン治療の第1回目の点滴を受けました。いろいろ変化のあった一週間でした。そのもろもろを整理しておきたいと思います。

 

   初めての点滴なので、一週間後に様子を見たいからというとで、今日は柏に診察に来ました。その診察の際、先生から開口一番「貧血が強すぎるので、今日は輸血をして帰ってください❗」とのこと。血液検査の結果ヘモグロビン値が6.8。今までもヘモグロビン値は常に低くて大体8〜8.2。普通の人はこれでもかなりの問題となる値のようですが、私はずっと低いので身体が慣れてしまっているようです。そして、この冬、群大病院入院中に一度輸血を行いましたが、その時のヘモグロビン値は7.8程。それなのに今日はなんと驚異の6.8❗どおりでここ数日疲労しやすいと思っていました。ということで、今、この部分は輸血を受けながら、左手で書いています。最近、左手ではもう点滴できる血管がなくなり、右手も限られてきています。そこため、今日は右手首のすぐ近くに針を刺されて、右手が動かせません。

 

   さて、先週点滴を受ける少し前から体重が少しずつ増えつつあり、むくみが増していました。木曜の夜は、56.8キロ。ところが、翌金曜日には54.5キロ、土曜日は53.3キロに減少。一気に3キロ以上の体重減‼むくみもかなり解消しました。このむくみの増減の原因は全く不明ですが、この体重減少のせいでとても疲れやすく、もっと運動しなければ、と思いました。しかし、その疲労は貧血が原因だったようです。

 

    点滴後の副作用はそれほど目立っては出ていません。しかし点滴後の二日目と三日目、特に三日目の金曜日は、身体全体の倦怠感、食欲不振がひどく、ほとんど一日死んだように寝ていました。しかし、土曜日にはそれも治まり、比較的過ごしやすい日が続いています。

 

     今、一番の悩みは食べられないこと。毎回ではありませんが、食べ物が胃の中のガンに道をふさがれて、常につかえ、もたれの症状が出ていること。あんなに食いしん坊だった私が、「食べたい!」という欲求をほとんど感じなくなり、まるで病人みたいです。最近は、食べることに怖さを感じるようになっても来ました。今日は、看護師さんが高栄養のサプリや食物の分厚いチラシをくれたので、帰りの電車で見ようと思っています。何にしても、鉄分だけでなく、栄養状態もあまりよくなくなっている気がするので、そういった補助食品の力も借りなければ、と思っています。

 

    病院のレストランで昼食を取ったのですが、私はうどんをゆっくり嚙みながら半分ほどをやっと食べました。私の目の前のテーブルには同年輩で少し痩せた男性。彼はカツカレーをあっという間に平らげて席を立っていきました。彼もこの病院の患者さんらしく、患者に渡されるプレートを下げていました。きっとどこかにガンを抱えているのでしょう。しかし、少なくとも胃がんではないんだと思います。そんなことを考えつつ、「胃がんは損だなー」とつぶやくと、家内に「今まで、さんざんおいしいもの食べてきたでしょ。それにこれからは、おいしいものを、少しずつ何回も食べれば、かえって楽しめるんじゃない」と言われ、なんとなく納得しました。

    病院の売店には焼きたてパンがいつも並びます。その中のこしあんパンがなかなかおいしいんです。輸血しながらおやつに食べようと家内に買ってきてもらいました。これから、そのあんパンを家内と半分こして(家内の方が大きめです)、食べようと思っています。

 

   

イリノテカン治療、スタート

   大阪の震災、四人の方のご冥福をお祈りいたします。前日の前橋の地震は幸いにも震度が弱かったので、ほとんどの被害がなくてよかった、と思っていました。神戸にいる長女が、心配をしてメッセージをくれましたが、「大丈夫みたいだよ。よかったね。」というやりとりをしたその翌日に、今度はこちらが神戸を心配することに。そして、神戸は幸いにも何事もなかったようですが、大阪では、大変な事態になっているとのこと。人生、何が起こるか、ホントに分かりませんね。

 

   朝から一日、がんセンターで、胃カメラの検査、そして、イリノテカンの第1回目の点滴を受けて、今はその帰りです。群大病院とは異なり、この病院に来ている患者さんは100パーセントがん患者、あるいはその疑いのある人たちです。いろいろな世代の人たちがいて、結構若い方もいます。とにかく、ここに来ている患者さん、誰もが、ガンの告知をされるまでは、ごく普通の日常を送っていたはずです。ところが、その日を境に生活が一変します。人によってその震度は、また異なります。同じ胃がんであっても、ごく初期に見つかり、すぐに内視鏡で摘出できる震度4程度の方。私のようにすでにステージⅣで手術もできない、震度6強程度のダメージを受ける人。これもすべて人生のちょっとした機微というか、運命の分かれ道があるんですね。

    そんなことを考えていると、意外と、とても素直に今の自分を受け止められる気がします。いつか書こうと思っているんですが、ガンになったこと、それほど悪いことではないな、と思っています。