tsuyojijiの「ガン日和」

胃がん発見からおよそ1年になります。これまでの経過や日々の様子を書き連ねます。

肝臓転移は、杞憂。「イリノテカン」による治療スタート。

 前回のブログで、多くの皆さんに必要以上の心配をかけてしまったようです。すみません。おそらく、皆さんも私と同じように「肝臓への転移」というのがショックだったのかと思います。

 私としては、「あきらめないよ」ということを強調したつもりだったのですが、私の想像以上に深刻に伝わってしまったようで、申し訳ありません。

 

 昨日、がんセンターへ行ってきました。その結果は後にして、まずはそこで先生から言われた「肝臓への転移」のことをお話しておきます。CTの画像を見ていて、先生が肝臓のことには触れないので、自分から「肝臓への転移が気になっているのですが」と聞きました。先生の回答は、「確かにあるかもしれませんが、現段階では全然問題にする必要ありません。胃がんの大きさと比べてください。胃がんの大きさの何百分の一の大きさですから、まずは、胃がんのことを考えましょう」とのことでした。言われてみれば確かにそうなんです。ただ、それだけ胃がんが大きいということではありますが。ということで、当面は、肝臓のことは忘れることにしました。皆さんもご安心ください。

 ちなみに、胃がんの大きさは、胃の全容積のおそらく9割くらいを占めていて、食べ物がよく通過しますね、というくらいの大きさになっています。ただ、この大きさは、昨年初めてガンが見つかった頃と、それほど変わっていません。そのころは、8割程度の占有率だったのが、8カ月でそこまで成長してきたということなんでしょうね。どうりで、最近、食べるたびにつかえたりもたれたりするわけでした。

 さて、ここからが本題です。結局、今後当面使う薬は「イリノテカン」という従来からある抗がん剤を使ってみることになりました。これは、群大でも治療できる薬なのですが、先生の話で、細かくチェックしながら必要に応じて、これまでの薬も含めた薬の選択をすることや、研究中の薬が使える可能性も探ってくれるということなども含めて、今後の治療の幅の広さから、当面がんセンター東病院で治療を受けることにしました。今度使う薬は、2週間に一度通って、日帰りで点滴を打って帰るというもので、副作用の出方がまだわかならない不安はありますが、いろいろな可能性を求めて、柏まで通おうと思っています。

 と、ここまで読んで、「え、食べられないんじゃないの」とか、「柏まで行くの、大変なんじゃないの」と心配する人もいるかと思いますが、どうぞご心配なく。食べるのにゆっくりかむので時間はかかりますが、お蕎麦屋さんに行っても、パスタ屋さんに行っても、ほぼ一人前をしっかり食べられています。また、柏まで車なら、1時間半程度、電車なら2回乗り換えで2時間ちょっと。ほとんど体への負担なく行ってこられます。

 一つ、このブログを読んでくださる方々(主に教え子たちですが)にお願いです。今後、私がここに書くことについて、あまり心配しないでください。もちろん、心配してくれる気持ちはとてもありがたいと思います。しかし、ここに書くのは、皆さんに心配してもらいたいから書くのではなく、自分の気持ちを冷静にとらえて気持ちを整理したり、自分の気持ちを奮い立たせたりというのが一番大きな理由です。そして、自分の体験を若い皆さんに伝えておきたいという気持ちも大きな理由の一つです。

 だから、できる限りストレートに自分の気持ちも吐露したいと思っています。このブログを読んで、必要以上に心配されるようだと、今後、病気の状況やそれにかかわる自分の気持ちを、正直に書けなくなり、そもそもこのブログを書いている意味がなくなってしまいます。皆さんの心配してくれる厚意を、踏みにじるような言い方になってしまったかもしれませんが、私のこのブログに込める思いを受け止めていただければと思います。

肝臓に転移? でも、あきらめない❗

  ここ数日、むくみが徐々に進んでいます。足の甲、ひざの周囲、太股、お腹の周囲。だんだんと丸みを帯びてきていて、少し不安になってきています。先日の血液検査で、アルブミンの値が下がってきていて、そろそろ出るのでは、と心配ではあったんです。

 

  火曜日に群大病院へ行って来ました。本来は点滴が目的でしたが、今回は、CT検査のみ。がんセンターで新しい治療が始まるなら、今週は薬を入れない方がいいでしょう、という先生の判断。すぐにCTを予約してくれました。

   結果は、やはり確実に進んでいました。この1か月の体調から、進んでいるだろうとは思っていましたが。胃がんの拡大、膵臓等への浸潤の進行、そして、ショックだったのが肝臓への転移の疑いとい診断。これまで、他臓器への転移はなかったので、まだ安心していたんですが、いよいよか!という感じ。

  しかし、あきらめるわけにはいかない!という思いはしっかり持っているつもりです。だからこそ、がんセンターでの新しい治療に期待をして、柏まで通う気持ちを固めています(今、柏に行く東部の両毛号の中でこれを書いています)。熱が高かったり、体全体がだるかったりすると、やはり弱気にはなりますが、あきらめない気持ちだけは何とか維持をしたいと思っています。

  このあとどのくらいの時間が自分にあるのかはわかりません。ただ、決して長くないことは承知しています。それでも、一日でも長く、家族といたいし、教え子や友人と会いたい。それにはあきらめない気持ちを強固にしていなければ!

授業がカンフル剤

 今日は、朝から発熱。起床時38度。しかし、ロキソプロフェンを飲んで、解熱。

 しかし、痛みがほとんどなく、そういう意味では過ごしやすい1日でした。16日の土曜日に、あるところで「学び合い」に関する講演を頼まれていて、その原稿作りが遅れていたのですが、今日は痛みがなく、ずっとパソコンに向かえたので、一気に仕上げることができました。問題は、当日1時間20分も話し続けられるかどうかです。

 

 さて、今日は中学年の子どもたちとの国語の授業日でした。夕方、塾に行く前は、37.3度。塾に着いてから、応援に来ている学生さんに「多分途中で、授業をお願いして、早帰りさせてもらうね」とか弱い声でお願いをしました。

 そして、授業がスタート。ふと気づくと、体全体がほかほか。出かけるとき寒気がしたので着てきた上着を脱ぎ、さらに、「あれ、声に張りがある!」

 1時間20分の授業があっという間に終了。結局最後まで授業をすることができました。やはり、授業をするのは、とても大きなカンフル剤になっているようで、授業が始まるとアドレナリンが出まくり状態になるのでしょうね。 

セカンドオピニオン

 いよいよ梅雨に入りましたね。昨日と今日の温度差に参ってしまいました。

 今、連日腹痛(胃であったり、下腹部であったり)に悩まされています。今日も、日中のほぼ半分は、痛み止めの薬が効くまでうなっていました。

 

 ほぼ1ヶ月前に、パクリタキセルからナブタキセルに、主治医の先生たちの大きな期待を持って変えてもらいました。しかし、その薬に変えた頃から、腹部の痛みや食後の倦怠感がひどくなっている気がして、かえって癌が拡大しているように感じられてなりません。

 そんなこともあり、また、もう少し手術を諦めたくなくて、千葉県柏市にある国立がん研究センター東病院の胃外科でセカンドオピニオンを受けることにして、群大から紹介状をもらい、一昨日行ってきました。

 結論的には、手術はリスクが高すぎて不可能とのこと。担当してくださった木下先生がおっしゃるには、「おそらくどこの病院に行っても、手術に関しては群大病院と同じでしょう」とのことでした。しかし、「内科的には、この病院の方が可能性があるかもしれません」と言ってくれました。

 実は、この病院の消化器内科で抗がん剤の開発等に中心的に関わっている設楽紘平先生は、学年は違いましたが、私が附属小にいた頃の児童でした。そのことを話すと、すぐに木下先生が設楽先生に連絡を取ってくださり、設楽先生もその場に来てくださいました。そして、私の状況を見て、あと一ヶ月後にCTをとる(群大の方針)などという悠長なことを言っていないで、すぐにもCTを行い、現状を確認して薬をどうするか検討した方がいい、という考えを示してくれました。

 ということで、所期の目的であった手術は諦めざるを得ませんでしたが、抗がん剤治療に関して、少しまた展望が開ける可能性が出たようで、明るい気持で外環道・関越道を運転して帰ってきました。来週、群大病院で今の薬の第2コースの点滴が始まります。それを受けつつということになるでしょうが、来週、今度は正式な受診というかたちで、がん研の東病院消化器内科を訪ねようと思っています。

 今日も、痛みをこらえながら「もう少しじたばた、あがいてやる!」と考えつつ1日が終わります。

湯根さんの記憶

   私が初めて入院、手術を経験したのは23歳、教員になったばかりの夏休みでした。学期末、少し胃が痛くて、学年主任にその事を何気なく話しました。すると、その先生が「自分の掛かり付けにこれから行くから、一緒に行こう」と言われました。それがすべての始まりで、市内の胃腸科の医院へ行ったら、だんだんと検査が進み、いつの間にか日赤病院で検査入院をすることになり、日赤病院へ行ってみると、ほぼ手術が前提で話が進んでいました。主治医の話では「がんになる可能性が五分五分です」とのこと。当時は「疑わしきは、罰する」というのが、がん治療に対する一般的な考え方であったようです。

   そして、胃を切ることになり、5分の3を切除。ところが、手術が終わってからの主治医の話。「あなたは、ガンではありませんでした。切らなくても大丈夫でしたね」ということ。「えー!」とは思ったものの、後の祭りでした。

 

    それは、さておき、私の場合、術後に肝機能障害を起こし、通常一ヶ月で退院するところを、3ヶ月も病院に留め置かれました。その時、同じ病室に湯根さんという長野原町の方が入院されていました。

     最近、その湯根さんのことをよく思います。

    湯根さんは、脳腫瘍で入院されてきました。年齢は、40代半ばではなかったかと思います。腫瘍が脳幹部にあり、手術は不可能で「もう先がないんだよ」とおっしゃっていました。私たちが入院していたのは、当時の日赤病院の6階の外科病棟でした。病室が一番東端にあり、非常階段につながるベランダが、たばこの好きな湯根さんと私の喫煙所になっていました。私は手術後1カ月ほどはたばこを控えていましたが、湯根さんが入院して来られた頃は、肝機能障害で行動制限が多く暇を持て余すようになり、たばこを再開していました。湯根さんから再開の一本目をいただいたような気もします。

 その喫煙所(ベランダ)からは赤城山がとてもよく見えて、その赤城山を見ながら、たばこをふかしつつ、湯根さんとよくおしゃべりをしました。おしゃべりをしたと言っても、ほとんどは湯根さんがいろいろなことを私に教えてくれることが多かったと思います。具体的にどんな話をしたのかは、覚えていません。しかし、もうそれほど自分の命が長くはないことを自覚しながらも、そのことをすごく自然に受け入れているように思えました。そのことがとても不思議でもあり、すごい人だという尊敬のような気持を強く抱いていた記憶があります。会話の中で、自分が死に直面しているということを、子供さんやご家族の心配をしながらも、とても自然に受け入れていらっしゃったと思います。「この先、どれだけ生きられるかはわからないけど、これも自分の人生だから」というようなことをおっしゃったことが、一番印象深く記憶に残っています。

 私は、12月の上旬に退院して、年内は自宅療養をし、3学期に学校に復帰しました。その後、5、6年過ぎた頃です。そのとき、伊勢崎第一中学校でテニス部の顧問をしていました。その年の冬、県の中体連のテニス部会が、伊勢崎の市民体育館で合同練習会を開催し、私も生徒を連れてその練習会に参会していました。その練習会の中で、各校顧問の控室にいるとき、長野原東中学校の顧問の先生のところへ、一人の女子生徒がやってきました。

 その子のネームプレートがなんと「湯根」でした。湯根さんから「湯根っていう苗字はとっても珍しい」という話を聞いていました。「えっ!」と思い、「ご両親は元気なの?」と聞いてみました。すると「父は、何年か前に病気で死にました」とのこと。顧問の先生が、「お母さんも会場に来ていますよ」とおっしゃり、お母さんをその控室に呼んでくださいました。何年振りかでお会いした湯根さんの奥様でした。その奥様から「先生が退院して、2か月ほどして亡くなったんです」というお話を聞くことができました。

 自分の病気が今後、いよいよ進んだときに、「自分は、あの湯根さんみたいに泰然自若としていられるのだろうか?」という不安があるのも事実ですが、それほど遠い将来ではないうちに自分の命が尽きるであろうことを、自然と受け入れられるような心理状態になっていることも事実です。

 こんなことを書くと、「もうあきらめるのか!」とおしかりのメールやLINEのメッセージがたくさんの教え子たちから飛び込んできそうですが、決してそんな気持ちはありません。もう少しじたばたして、往生際悪く一日でも長く生きるために、セカンドオピニオンを受けようと思っています。そのことはまた後日。

ナブタキセルの副作用?体が興奮状態に!

 現在深夜の3時20分。昨夜は12:00頃にベッドに入ったものの、なかなか寝付けず、とても浅い眠りのまま何度も目が覚め、2:00以降は、まったく眠れませんでした。そこで3:00に起きて、先ほどまでパイナップルとイチゴのジャムのラベル貼りをしていましたが、それでも眠れそうにないので、パソコンを立ち上げた次第です。

 普段、私はベッドに入ったら、よほどのことがない限り、おそらく1分以内くらいで熟睡モードに入ります。年のせいで、たまに夜中にトイレに起きることもありますが、普段はそのまま朝までぐっすり、というのが日常です。

 これは、もしかしたら「ナブタキセル」のせいかもしれない、と考えられる節があります。今コースから抗がん剤が「パクリタキセル」から「ナブタキセル」に変わりました。そのせいなのではないかと。

 というのは、第1週目からそうなのですが、この点滴をしてきた日は、妙に興奮状態になるというか、テンションがいつもより高いことに気づいていました。もちろん、薬の仕様書の副作用に関する記述にはそんなことは書いてなかったと思うのですが、実際にそのような状況になっています。

〇点滴のある火曜日は、塾で中学年の子たちとの国語の授業が入っているのですが、先々週の1回目の点滴の日、妙に授業中ハッスルしていつもより多弁になったり、厳しく叱ったりしている自分に気づきました。そして先週も、さらに今週もその傾向が自覚できました。今日は、子供から「先生、最近元気いいね」と言われる始末。

〇1週目も2週目も、今回のように眠れらなかったことはありませんでしたが、その晩の夕食後や、翌朝目が覚めた時に、体温は高くないのに後頭部を中心に熱っぽいような、汗ばむような感覚があり、なんだろうと?と思っていました。

 そして、今回の眠れない状態。もしかすると、体が興奮状態になっているためなのではないかと、考えているのですが、いかがでしょう?どなたか、これを読んでいるお医者さん、看護師さん、薬剤師さんたち、あるいはこのナブタキセル(アブラキサン)を使っている(使ったことのある)患者さん、ご意見をください。

 実は、パクリタキセルからナブタキセルに変わったことで、点滴後のいくつかの変化がほかにもあります。特に顕著なのは、これまでは点滴をした翌日(水)、翌々日(木)に疲労が出て、特に木曜日は結構ぐったりしていることが多かったのに、今回は水・木曜は比較的元気で三日ほど間を置いた土・日曜あたりにその疲れが出ていること。

 半年ぶりにゴルフ練習をしたのは、確か、先々週の木曜日。そして、日曜日は富士山を見にロングドライブでしたが、その翌日の疲労の度合いはこれまでにないくらいひどいものでた。孫を保育園に送ってそのままゴルフ練習に行ったのは先週の木曜日。いつもなら保育園からすぐに家に帰り一休みしていたはずです。しかし、ゴルフ練習をしたくなりそのまま練習所へ直行。しかもカラオケまで。そして、一昨日の土曜日に少し出ていた頭痛が、日曜日にはひどくなり、薬で抑えて起きられたものの、夕方には発熱。その熱も月曜日にはすっきりとしていました。この発熱や頭痛は副作用とは全く無関係かもしれませんが。

 そして、変化を感じるもう一つが、これまでずっと続いていた鼻の粘膜の炎症が収まりつつあること。パクリタキセルを使い始めてから、仕様書にあった口内炎はほとんど出なかったものの、鼻の奥の粘膜が常に炎症を起こしていて、ほとんど毎日大きなかさぶたができ、それを除くとそこから出血、という状況が続いていました。ところが、この1週間ほど、完全にではありませんが、出血量もかさぶたのできる量も減ってきてティッシュペーパーの使用量がぐっと減りました。

 28日の記事をFacebookで見た伊勢崎時代のTさんから「無理しすぎていませんか」と指摘され、それを見た長女からは「Tさんの言うとおりだよ。少し自重したほうが」とも言われました。たぶん、パクリタキセルの時の木曜の疲労感がなかったので、「今度は、疲労感が出ない薬なんだな」という思いがあったような気がします。

 今4:30になりました。先ほど新聞屋さんが来ました。ふと気づいたら、1800字を超えた長文になっていました。これまで、大体1300字程度には収まっていたはずなんですが、これも興奮状態がさせているのかもしれません。

 読む方も大変でしょうからあと少し。一番肝心な昨日の血液検査の報告です。いつも気にしていた白血球の数値です。前回13900にまで上がってショックを受けたこと書きましたが、昨日は9,900でした。基準値の上限が9,600なのでほぼ基準値に近づいたということ。やはりこれは良い兆候ですね、と担当してくれた生方先生からのお言葉。これからもナブタキセルとサイラムザのコンビに期待です。

 外からカラスの声が聞こえ、だいぶ明るくなってきました。この後ベッドに行ってみます。ここまで2,031字でした。(パソコンが文字数をカウントしてくれんです)

がん患者の日常 ここ数日の様子

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 私は、子供のころから飛行機雲が大好きでした。それなので、飛行機雲が見えると、運転中であっても、即、車を止めて手持ちのカメラでパチリ!

 先日、忍野でもこんな風景を撮影することができました。お土産も買い、帰りかけた時、孫の空が「あっ、飛行機ぐも!」というので、見上げると、確かに飛行機雲が上空に近づきつつあります。そこで、あわてて、富士山上空にかかる飛行機雲を撮影できそうな場所へ戻り、数分待ち構えました。そして、撮影したのがこの写真。飛行機雲と富士山を一緒にカメラに収められるとは、私にとってはとてもラッキーな一日でした。

 

 新しい「ナブタキセル」の点滴2回目をこの前の火曜日に終えて、多少の腹痛はあるものの、比較的快調に過ぎていていました。一昨日の金曜日も、ゴルフ練習に行き、カラオケにも行き、夕方は桂萱小の6年生の女子二人との授業を楽しく、1時間20分の予定を大幅に延長してやってきました。

 ところが、昨日は朝から頭痛がひどく、薬を飲んでそれが効くまで起きられないありさま。熱も少し高め。起きてからも、体中がだるくてなかなか行動が思うようにできません。春日中時代のバレー部の子たちがランチに誘ってくれていて、とても楽しみにしていたのですが、ちょっと厳しいと感じ、急遽キャンセル。ただ、午後2時ころ、少し良くなったので、顔だけは見たいと思い、ジャムを手土産に会いに行ってきました。なんと、36年ぶりの再会。

 そして、夕方少し寒気を感じ、検温すると38.0度!

 薬剤師をしているKさん(附属小相時代の教え子です)に相談をして薬を飲み、深夜に解熱。そのあと熟睡して、起きてみると、ほぼ平熱に戻っていました。

 ところが、朝食を食べようとしたのですが、今度は腹痛がひどく、結局朝食は食べられず。ウォーキングをしてきたり、パインジャムを作ったり、気力はまた戻ってきているのものの、体全体の調子が整うのは難しいようです。

 これらの不調が、すべて抗がん剤の副作用によるものなのか、副作用に関係なくお腹の中のガンが勝手に暴れていることによるせいなのか。いずれにしても、この先の展開が気になるところではあります。しかし、お医者さんはだれもそういう話をしてくれません。私がストレートに聞かないこともあるでしょうし、もしかしたら先生たちも予測できない面もあるのかもしれません。しかし、患者としては、当然のことながらこの先の見通しがとても気になります。

 8月上旬には、大学時代の研究会の同期会が、そして中旬には伊勢崎時代の生徒がクラス会を開いてくれることになっています。さらに、10月下旬には、各都道府県から集まった指導主事の研修会がつくばであり、その時の同窓会が草津温泉で行われることになっています。これらの会までに、自分の体がどうなっているのか!?自分はその会に出られるのか!?そういう不安を常に抱いてしまうのが、癌患者の宿命なのかもしれません。それでも、そんな不安を口にしたり、それを聞いてくれる家族がいたり、こんな記事を読んでくれる人たちがいたり、そういう人たちに囲まれて日々の人生を送れるのも、癌患者ならではの「幸せ」なのかもしれません。